VMA-211
Wings
2機のペアは、沖合いに展開していた強襲揚陸艦USSエセックスからの飛来であった。HMM-Rainのレターではなく 本来の”CF"のレターを付けてくれていてよかった。1機は、スマート爆弾の模擬弾を両翼に もう1機は、これを誘導するターゲティングポッドを付けての訓練である。2009年3月11日
最初の2機が下りて約1時間ほど経った11:15 再び2機のハリアーが飛来 この時点では、私はいよいよ岩国から移動訓練に来てくれたか・・などと思っていた。飛来したハリヤーの内 モデックス24番だけは、レーダーハリヤーではなく 往年のナイトハリヤーで混合編成であった。
胴体後部に白い文字で USS ESSEX VMA-211と書かれている。レーザー誘導爆弾の模擬弾を付けたハリヤーを見るのはこの時が最初であった。 ちなみにナイトハリヤーの方は、黒い文字で艦名と部隊ナンバーを書き込んでいた。
トホホ・・・・もう1機横にいたのね・・・
2009年5月5日.恒例の岩国公開日 この日は、久々にAV-8Bの展示フライトが多かった。何とナイトハリアー2機 飛行展示には、レーダーハリアー”CF-00”が使われ 垂直上昇などハリアーの飛行特性を生かした展示飛行が披露された。
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AV-8B
「ウェーク島の復讐者」という名は、太平洋戦争の序盤戦で日本軍に奪われたウェーク島を取り戻すために 強い決意を表した部隊名でだったのだろう。彼らのホームページを見ると 歴史欄にその辺が詳しく解説されている。1941年にF4Fワイルドキャットを装備して西太平洋に展開 空母エンタープライズで運ばれたわずか12機のF4-Fワイルドキャットで 当時勢いのあった日本海軍の攻撃を忍ばねばいけなかった。このウェーク島の攻防戦がかれらの由来なのである。島は、いったん日本の占領を受けることになるのだが その直後のミッドウェイ作戦で日米の形勢が逆転したことはご存知の通り。 ウェーク島は、ちょうどグアム島とミッドウェー島の中間地点にある面積6.5平方キロの小さな環礁で 1568年にスペインの航海家により発見された島で 1899年にアメリカ合衆国に併合された。人口は2000人ほどであるが 確か2本の軍事用滑走路を備えており 現在でも太平洋方面の軍事活動に欠かせない米軍の重要な中継地点。CF-01(160043)
(再会)
”CF"のレターを付けたハリヤーに出会うのは、何年ぶりだろうか・・おそらく15年ぐらいお会いしていない部隊かもしれない。ウェーキ島の復讐者たちを、今回の嘉手納遠征では運よく撮影することができた。嘉手納への撮影行で、私は比較的ハリヤーと縁があって、いつも何らかの収穫を得ていたため 嘉手納に行けば必ず何機かのハリヤーが撮れるなどと言うとんでもない妄想を抱いて 沖縄に行くようになっていた。ところが 2008年12月に目の前に多数のVMA-223所属のハリヤーが駐機しているのに 一機も撮れずに終わるなどという冷や水を飲んでから運に見放されたようだ。その後、嘉手納でハリアーに会う機会はめっきり少なくなった

2009年3月遠征時は 岩国に配備されたばかりのVMA-211が嘉手納に数機でもいてくれればと小さな期待をしたが それは裏切られエプロンには1機のお姿も無かった。現実は、こんなものだ自分を納得させながらも、ハリヤーを撮りたい欲求は募り、嘉手納の空を見上げながらずっともやもやとしていた。
2009年3月11日朝 09:56 曇り空の嘉手納上空、私は飛び立っていったF-15C/D F-22Aのお帰りを待って 国道脇で空を見上げ待ち続けていた。2機のシルエットが雲を抜けて目に入った、 F-15が戻ってきたか・・・しかし機影が少し違う・・・しっかり編隊を組んだ2機の機体は細身でF-15ではない、上空をオーバーヘッド ハリヤーだった。 やった〜!!・・・子供のように喜ぶ自分がそこにいた。
エンジンをかけたまま給油をするのは、引火の可能性が高く危険を伴うが 実戦の場合給油の度にエンジンを切っていたら 敵に反撃の合間を与えるのでもっと危険である。厚木基地にも日本の予算で作られた”ホットピット”施設があるらしいが 嘉手納ではF-15のこうした訓練も行われている。ホットピットと言う単語は、GO NAVYの広江さんから聞いて最近知った単語であるが 嘉手納でのVMA-211の訓練が正にこれに相当する。
2009年3月11日についで 翌3月12日にも嘉手納でホットピットの訓練をするVMA-211のAV-8B、USS エセックスから飛来し約20分の給油で また母艦へ向かった
嘉手納でホットピットを終え 母艦に向かうAV-8Bの離陸を捉えようとRW/23側で待っていた、これを撮影して夕方4時の便にぎりぎり間に合うかどうかだった。漸く離陸して行ったハリアーをレンズで追ったが 300mmレンズに1.4倍のテレコンをつければ デジカメだと600mmぐらいに相当するので 最初に眼に入った機体に気を取られていたら実は2機編隊で離陸していたのだ・・・・これを知ったのは、上の写真を撮り終えた頃・・・あわててファインダー位置を調整したものの フォーメーションは下の写真のような送りになってしまった。。。
2011年春 嘉手納に8機が展開したVMA-211のハリアー、私が嘉手納訪問した4月4日と5日 全く飛ぶ気配がなく 今回もハリアーに見放されたか・・と落ち込んでいた。地元友人のWさん曰く「昨日 全機タンク付けたから そろそろ岩国に帰るんじゃない」 でも いつ帰るの??これも運である。帰宅を予定していた6日の朝 運は向いてきた、朝からハリアー周辺の動きが激しい、ついにラジオに岩国へのクリアランスが出たという情報。ラッキーである、そうであれば撮影のチャンスは離陸だけ 早速ポジションをとる。なんと 晴天の中 離陸は一瞬太陽に雲がかかったその時だった。でも 撮れたのだから それで良し! 09:00ジャストのフォーメーション・テイクオフ
4月6日 午前中の3機に引き続き 13:20にナイトハリアーが2機離陸した。フォーメーション・テイクオフ出会ったが 2機の間隔が離れすぎて フォーカスに収まらない。しかも 太陽はTOP 証拠写真程度のものにしかならなかった。ただ マーキングが新旧2通りあり 並んだ状態で比較できるのは面白い。
VMA-211は、2012年4月 遠征先アフガニスタンのカンダハル遠征時 イギリス軍管理のキャンプ・バスチオンで タリバンによる基地の襲撃を受け 6機のハリアーを失うという大きな被害を受けた。この襲撃で何と飛行隊長のクリストファー・K・レイビル中佐までが戦死しており 飛行隊で2名の戦死者を出したのだ。アメリカのマスコミは、「ベトナム戦以来の最悪の被害」と書き立てた。タリバンの計画は周到で 事前にこの基地に駐留しているイギリスのハリー王子の殺害を予告していた。その為 アパッチ攻撃ヘリなどを配備し警戒していたが 米軍陸軍の制服を身にまとった15名の重武装タリバン戦士は3チームに分かれ基地の同時攻撃に成功している。ハリアーの駐機していたハンガーと3つの燃料補給処が同時に攻撃され被害を受けた。レイビル中佐は、AV-8Bでの飛行時間2000Hを超えるベテラン 飛行隊長を務める前はユマで3年間航空機の武器関係と戦術の教官を務め日本やイラクにも派遣されていた。3人の子供と奥さんを残しての戦死である、ご冥福を祈りたい。
1976年 A-4EよりA-4Mに機種交換し 1989年までM型を使用。
ネットに公開されたキャンプ・バスチオンにおける被害を受けたハリアーの様子。
A-4M
The Avengers have been awarded the Marine Corps Aviation Association "Attack Squadron of the Year" for 1995 and 1996.
1990年6月よりAV-8Bナイトアタック型に機種交換した。
CF-01/160043
CF-06/159485
CF-07/158185
CF-18/159786
CF-2/158170
CF-5/159785
CF-1/160045
CF-13/158417
CF-20/160034
CF-3/1158177
CF-11/158152
1979年の7月嘉手納基地には 岩国よりVMA-211のA-4Mが常に10機〜15機ほど飛来し 連日訓練を行っていた。
CF-01(1993)
CF-06/164116
 (1993)
CF-05/164115
CF-21
TAXING OUT OF AV-8B (VMA-211) in YOKOTA AB