CG-11(162955)- 1993/NAF Atsugi
VMA-231
Page-2
CG-04(163670) New Tabaru AB
↑ 1990年の湾岸戦争に参加した機体で 砂漠の光景に合わせ白色に近い明るいサンド色を急遽オーバースプレーした もので それまで暗い塗装だったハリアーのイメージを大きく変え雑誌やニューズでも取り上げられ注目された。特にModex-01は、機首にシャークティースが描かれており サウジに配備された現地での写真も多い。Bu.No.163662
1990年にイラク軍のクェート進行から湾岸戦争勃発となったが、VMA-231はそれまでのダークグリーンの衣装をグレーの砂漠迷彩に換えて参戦している。この時、イラク軍の対空砲火で撃墜されたのがVMA-231のサンボーン中尉で、彼はバグダットで1か月ほど拷問を含む過酷な投獄生活を送り解放されている。その彼は、1988年にハリアーの操縦資格を得た後、岩国でVMA-231のパイロットとして任命されイラクに赴いたのだ 
↑同じく湾岸戦争参加の機体で 戦争終了後の1991年ニューヨークで行われた戦勝パレードに合わせワシントンで一般公開された機体でもある。機首には部隊インシグニアのスペードとアラビア文字で“free Kuwait”(クウェート解放)と書き込まれ 投弾回数55回を示すbombマークがある。湾岸戦争ではCG-09Bu.No.162081が撃墜されている。Bu.No.162943
対空砲により機体制御を失ったAV-8Bは、反転したまま地上に落下して行ったが、彼は何とか脱出することができた。それから12年後 彼は新しいハリアーでバクダット上空を飛行していた。ターゲティングスコープの助けを借りて彼が投獄されていた監獄がはっきり視認できた。戦地を転々とした彼も最終的には海兵隊少将まで登り退役している。
↑ 1991年9月 横田基地に展示された2機のVMA-231所属のAV-8B CG-03/CG-04
↑ 1990年9月小松基地に展示されたVMA-231所属のAV-8B CG-07
1990年6月からVMA-231は、岩国基地に半年のローテーション展開。
CG-07(162962) komatsu AB
(1993)
(1990)
(1990)
↑ 2006年のボスバードで尾翼の付け根部分にVMA-231の起源である第一海兵師団第一中隊の創隊年を示す“since1919”と書かれている事から何らかの記念塗装と思われる。尾翼や燃料タンクをこのように派手なマーキングに仕上げたのは恐らくこの部隊としては最初である。その意味で注目されたマーキングであった。Bu.No.164570
↑ 2012年強襲揚陸艦USSバターンに搭載されVMM-263(Rein)の遠征部隊として活動していた時に塗装されたもので 大きなシャークティースを入れている。他のハリアー部隊もこうした遠征部隊で本国を離れた際に鮫口を書き込んだ例が数多く見られた。Bu.No.165385
CG-14(unknown) komatsu AB
基地祭参加の為 小松の展開したVMA-231のハリアーB型、A型と比較し スマートな印象と視界の良さそうなコックピットが印象的であった。CG-14は、ロービジ効果が強すぎてシリアルナンバーも読めない。
AV-8B
CG-02(163665) New Tabaru AB
1998年,NASオシアナで展示飛行したAV-8B CG-04(165001)と地上展示となったCG-01(165005)、ビューアルナンバーがのキリの良い数字である。
HOME
NEXT
click here
Wings
1983年9月 AV-8Bアドバンスド・ハリアー(当時こう呼ばれていた)に転換、L・E・ロバートソン中佐指揮の下、B型への習熟訓練が開始された。空母運用認定資格は、USSコーラルシーに搭載されて1988年初頭取得、湾岸戦争にも参加。
↑ 2009年に確認されたマーキングで、尾翼に部隊が参加した戦争を古い順に尾翼の上から並べてある。最初に書かれたバナナ戦争とはアメリカ海兵隊が南米諸国に軍事介入した時のもので、スペインとの覇権争いに勝って勢力を南米まで拡大し始めた頃の戦争である。一番下は、イラクに攻め入ったイラク戦争となっている。 Bu.No.164552
CG-14(163659) -1993in