VMA-331
(1942~1992)
1985年にVMA-331がAV-8Bを受領して1年ぐらいまでは、下面をライトグレーに塗っていた機体が多かったが その後 オーバーラル・マーキング(全面迷彩色)に変更統一された。
AV-8Bに機種交換後VMA-331が、岩国に始めて飛来したのは1989年6月10日。梅雨入りしどんより曇った岩国の空から、彼らは次々にランウェイに舞い降りた。前任のVMA-211のA-4Mに替わりMAG-32から6ヶ月のローテーションで AV-8B部隊としては初の来日であった。何と20機という空軍スコードロン並みの定数で岩国に配備されたのである。
AV-8B
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1983年1月24日 当時チェリーポイントのMAG-32に所属していたVMA-331は、A-4Mから新鋭のAV-8Bに転換を始めた。”ハリアーⅡ”の海兵隊最初の飛行隊であるから当然注目の的であったが、彼らは21名のパイロットと15機のAV-8B”ハリアーⅡ”で転換任務を開始し、2年半後の1985年8月にはクロフォード中佐の元、完全なる作戦遂行の能力を持ったハリアー部隊に仕上がったとされる。1987年1月から強襲揚陸艦ベローウッドで初の海外展開を経験、1989年6月には岩国展開である。私は彼らが来るのを指を数えて待っていたが、先代のAV-8Aに比べ重厚感のあるB型は結構絵になる被写体であった。
1989年7月23日 岩国基地 MCAS IWAKUNI

↑1985VMA-331がハリアーⅡの最初の実戦部隊としてスタートした頃のマーキングで、下面が白いのは試行的な意味合いもあったと想像する。所属機全機がこのような下面を明るいホワイトグレーで塗装していたかは不明だが、暫くして下面まで迷彩塗装が施されたようで、この塗装の写真は極めて少ない。  Bu.No.162074

Wings
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(1989)
198911月 築城基地 Tsuiki AB
VL-04 (1989/8)
1989年8月 横田基地 Yokota AB
VL-12 (1989)
1989年7月23日 岩国基地 MCAS IWAKUNI
VMA-331はA-4M時代にも岩国に駐留していたが、私は就職したばかりで仕事の関係上関東地区から離れたせいで、撮影のチャンスは殆どなかった。しかしAV-8Bに代わって日本に飛来した時期は時間にも余裕があって、それまでより多くの撮影チャンスを得る事が出来た。特に築城/芦屋など九州地区の航空祭にはよく展示された為、丁度山陰地方(松江)に転勤で住んでいた私にとっては都合が良かった。九州各地でこの新型ハリアーを十分堪能できた事は運が良かったと思う。只ダークグリーンとダークグレーのオーバーラル迷彩にこの小さな部隊マークでは、近くからでないと何が描いてあるかさえ、全く判らない。しかもロービジ・マークの蜂は灰色で表現されたので 「ハエ」に見えてしまう人も多かったのではないだろうか・・・・・
(1989)
(1989)