WF-53/158959
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VMA-513
↑ 離陸の為 本拠地 MCAS YumaをタキシングするVMA-513のAV-8A/Bu.No.158973 Feb.1980
日本の数多い航空ファンが、AV-8Aハリアーと言う垂直離着陸が出来る戦闘機を初めて目にしたのは、この飛行隊の所属機のはずだ。イギリスで開発されたこの画期的な性能を持つこの戦闘機は、試作機当時ケストレルと言うネーミングであったが、実用機の段階でハリアーに変更となった。

近接支援を主目的にするアメリカ海兵隊が、ヘリと揚陸艦での共同運用するためにも、この母艦に蒸気カタパルトが無くとも運用できる戦闘攻撃機に直ぐ目を付けたのは、当然の帰結だろう。1971年4月にVMA-513は、米海兵隊最初のAV-8A運用部隊となった。その為、この部隊は海兵隊におけるハリアーの運用を確立する為の礎となり、様々なテストを行い、それが現在のAV-8B各部隊の作戦行動マニュアルに反映されている筈である。日本に駐留した最初のAV-8A部隊もVMA-513で確か1974年の秋頃岩国に配備され 多くの航空祭でデモフライトを実施していた。私も含め多くの航空ファンがハリアーのデモフライトを航空祭の華として楽しんだ筈である。今はデモフライトを見る機会がすっかり少くなり寂しいと思う。
AV-8C
↓一連の写真は、1984年11月強襲揚陸艦USS TARAWAから厚木に飛来したVMA-513のAV-8Cである。機首横に映画の登場したグレムリンの絵を書き込んでいる。厚木基地でAV-8Cの最初のランディングを撮った時 私は、撮影時ピントを合わせるのに精一杯で見分けなど付かなかったが、誰かが「あれはA型じゃなく,、C型だ!」と叫んだ。A型とC型の差は僅かで両翼端と尾部のコーンにALR-45のアンテナが付いている事と、機首下面にAPR-43のアンテナが増えた事だけである。1度のランディングで この違いを一瞬にして見分ける厚木の先輩マニア!・・良く判るものだとつくづく感心した。これを撮る為に3日間厚木に通い続けた思い出がある。
WF-52/158701
海兵隊がAV-8A ハリアーを導入し最初の実戦部隊VMA-513を作った時点では、単座型のハリアーしか所有しておらず、転換訓練も全て単座型で行っていた。後に複座練習型のTAV-8Aが8機導入され訓練に使われることになる。
↑翼下に付けている大きな燃料タンクは、フェリー用(長距離移動用)の300ガロンタンクである。
WF-52/158701
WF-56/158329
1976年の国際宇宙航空ショー展示
”フライング・ナイトメアーズ”--飛行する悪夢は、尾翼のラダ-に梟のシルエットを描く。は、
↑ 横田基地に展示されたVMA-513のAV-8A。翼下に着いているのは、小型の燃料タンクで120ガロンタイプ。一般的にはこの燃料タンクを付けて訓練する姿が多かった。胴体の下には、左右一基ずつ付けられた30mmアデン砲のユニット。ポッドには各150発の砲弾が入る。
Wings
1944年と言う太平洋戦争の終盤に創設された飛行隊で WWⅡでは大きな戦果の記録が無いが、朝鮮戦争では夜間の空中戦で敵機12機を撃墜し、その名声を一挙に高める事となる。1963年海兵隊で3番目にF-4ファントムを受領し、ベトナム戦ではダ・ナンをベースに作戦に従事した。べトナム戦以降のF-4ファントム時代は主にノースカロライナ州ハヴロック市に所在する海兵隊航空基地 MCAS Cherry Point を本拠地としていた。他のハリアー部隊は、引き続きMCAS Cherry Point を本拠地としていたが、AV-8A受領後唯一VMA-513だけがMCAS Yumaに本拠地を移した。
AV-8A
1974年11月岩国に最初に配備されたVMA-513のハリアーは、16機編成と言う大きな飛行隊であった、1976年11月までこの編成で各地の航空祭にも参加してくれたが 1976年11月以降は、本隊が本国に帰ってしまい 岩国には数機の分遣隊が残るのみとなった。1976年8月と12月に岩国基地付近で2機のハリアーが事故で失われている。