VMAQ-2はEA-6Aの前にRF-4Bを運用していたようだが、アメリカ本国での話で日本では見たことはない。このEA-6Aと同じように 尾翼を黒く塗ったRF-4Bの写真があるが 彼らは以前偵察機部隊として活躍していた。日本では見られなかったRF-4Bだが 一度お目にかかりたかった。1966年10月にベトナム戦に初デビューしたVMCJ-2のEA-6Aは、早々にVMCJ-1と交代し VMCJ-1がベトナム戦での主力になったとされている。
海兵航空部隊は、元々偵察機部隊と電子戦部隊を統合されて運用していた。VMAQ-2も1952年の発足時はVMC-2として PV-2ネプチューンやAD-5N/Qを使用する海兵隊唯一の偵察部隊だった。その後VMCJ-2と名称変更し 1975年それまで岩国に駐留していたVMCJ-1”RM”の解散に伴って岩国にDet(分遣隊)が派遣されるようになった。
 A-6を改造したEA-6Aは、尾翼を黒に塗りこめ”プレーボーイ誌”のシンボルマーク”バニーちゃん”をつけていたため 根スケの私にとってはドキドキするする存在だったのだ・・・なんのこちゃ!
 1975年のこの部隊改編で偵察専用飛行隊と電子戦専用部隊が、分離され偵察部隊はVMFP-3”RF”としてRF-4Bを使用した。VMAQ-2は、1977年2月にEA-6Bプラウラーを取得し EA-6Aの塗装をそのまま受け継いだが、すぐにロービジ塗装に変更され白黒のシックなVMAQ-2を見られた時期は短かった。

1977年の岩国基地にて撮影されたEA-6A フニュ君の作品であるが、天気が悪くとも画質はしっかりとして美しい。

USS Midwayの出港に伴い 岩国から前日より厚木基地入りしたVMAQ-2EA-6ACY-621/623/624)の各機。

出港日 CVW-5の各飛行隊とともに空母に向かった。手前はVA-56のA-7A(NF-413)。EA-6Aは、厚木でもそれほど頻繁に撮影できる存在ではなく 1日で3機が同時に離陸して行く光景は圧巻であった。
Wings
EA-6A
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1978年にはすでにロービジ塗装のEA-6Aが現れたが、彼らの任務上低視認化は率先して実施されるものと納得、しかし 次世代のEA-6Bプラウラーは、フルカラーで我々の前に現れた。

1976年の秋口 夕暮れの厚木基地にランウェイ01で降りて来たVMAQ-2 憧れのEA-6A 建国200年の記念フラッグを機首の左に大きく書き込んでいる。ランウェイの奥まで転がってくれたので撮影できたラッキーな日であった。私にとってEA-6A(CY)との初対面であった。
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