↑1993年浜松基地に展示されたVMFA(AW)-121のF/A-18D/VK-10/Bu.No.164053 尾翼のナイツは、極めて薄く書かれておりロービジのお手本のような機体。
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F/A-18D VK-04 Bu.No.164653

↑1995年厚木基地に展示されたVMFA(AW)-121のF/A-18D/VK-02とVK-00.。VK-00の燃料タンクにはバイキングの絵柄が入っている。1993年〜1995年この部隊のFA-18Dは、殆どフォルス・キャノピーが書かれていた事が判る。

↑ 1992年9月三沢基地に展示されたVMFA(AW)-121のF/A-18D/Bu.No.164028

(1992)
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(1992)
↑ 1990年代半ば頃にに施されたマーキングで写真も少ないが、カラータイプとグレーの濃淡だけのタイプがあった。マーキングの特徴は、ナイトの描き方がこの時期特有のもので、またラダーを濃く塗って部隊名を入れている所が特徴、初期の塗装としては魅力的なものだった。F/A-18D   Bu.No.は、不明。
太平洋戦争終了後、暫く平和な日々が続いてが、1951年1月元旦に突然北朝鮮軍が38度線を越えて南側に侵入、朝鮮戦争が勃発してアメリカを中心とした国連も蜂の巣を突く騒ぎとなった。早速、VMA-121はカルフォルニア州のエルトロ基地で既にスカイレーダー攻撃機の訓練を始め、朝鮮戦争への出撃準備を整えてた。朝鮮に赴いた彼らの多くの戦歴の中で、特に著名な戦果がスイホーダム攻撃任務で、此処に150トン以上の爆弾を叩き込んでいる。この朝鮮戦争時代、同部隊ニックネームはコミックのウルフガールを捩りウルフ・レーダースと呼ばれていたらしい。1962年にA-4スカイホークを受領して、この頃からグリーンナイツを使い始めたようだベトナム戦にも駆り出され、南ベトナムのチュンライ基地をベースに半年の激戦を戦い抜いた。1969年から前ページでご紹介したA-6イントルーダーを20年間使用し、1989年からF/A-18Dに更新された。。

F/A-18D VK-00 Bu.No.164679

F/A-18D VK-02 Bu.No.164651

↑ 1992年6月の横田基地航空祭で、来日後首都圏で初めて展示されたF/A-18D/VK-14 Bu.No.164061。この日は、VK-01も同時展示となっていた。

FA-18D

↑20052006年版のブラックテール機、2004年のものと比較し尾翼のチップラインから前縁にかけてグリーンのシェブロンが加わり、尾翼が引き締まった印象である。この部隊20055月まで岩国にいたが、日本ではこの塗装の写真は岩国基地でのタキシングのものしかないので、殆ど各地の航空祭等でも出展されなかった機体のようだ。恐らく2005年半ばミラマーで塗装されたものと推測している。F/A-18D  Bu.No.165413

F/A-18D VK-00 Bu.No.164679

(1992)

↑2007年に確認された有名なマーキングで20072月、イラク自由作戦を支援するイラクのアル・アサド空軍基地に配備された際に出撃を記録したと思われる爆弾マークが多数機首に書かれている。作戦に参加する上で目立たぬよう黒を使うのを避け、通常のグレーをベースに書かれたが、一番センスが良いマーキングだと私は思う。F/A-18D   Bu.No165413.

Wings

↑ ↓ 写真は、1995年7月23日横田基地に展示された2機のF/A-18D、VK-00とVK-04である。尾翼のナイツは、単調なデザインになってしまっているが、この日 VKのほかにDC、WD、WHとマリン機の展示が多くマニアは大喜びであった。

↑ 2004年ミラマーの展示機としてデビューした最初のブラックテール機。Modex/パイロット名/部隊名なども、スコードロンカラーのグリーンで統一し、一部は黒のシャドーを入れている。ジェットインテークの注意書きとビューアルナンバーもはっきりとした黒色が使われており、この司令官指定機以外が完璧なロービジ塗装であったことから、非常に目立つ存在だったはずだ。F/A-18D  Bu.No.164685
(1992)
(1992)

↑ このパッチの文言・・どこかで聞いたようなフレーズだ。そう、ワイルド・ウィーゼルの「それって、嘘だろう? !!」である。

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Pacth of Desert Storm