Page-2
海兵隊のA-6Eは、週末よく横田基地に飛来し 地元のファンを沸かせた。横田基地周辺には、当時自転車で基地周辺を移動しながら熱心に写真撮影をしている中学生から高校生ぐらいのマニア諸氏が存在し、彼らは”ちゃりんこ部隊”と呼ばれていた。私の友人の一人もそのメンバーであったが、横田基地へ行く毎に、彼らの週末の成果を印画紙に焼き付けて見せてくれた。彼から頂いた貴重な写真をご覧ください。真っ白い尾翼に赤い文字でWKと書かれており、実に美しいマーキングだった。
A-6E
VMA(AW)-224”ベンガルス”は、1942年5月1日ハワイのバーバース・ポイントで編成された飛行隊で、当時の部隊ナンバーは”VMF-224”つまり海兵隊の戦闘機中隊であった。最初に配備された機体は、逆ガル翼で有名なボート社のF4Uコルセアで、1942年9月からガダルカナル島のヘンダーソン飛行場をベースに日本軍と戦闘を展開、約60機の撃墜を記録している。1942年11月に本拠地を海兵隊エル・トロ基地に移し、再び練成訓練を積んでマーシャル諸島の攻略戦・沖縄戦に投入された。戦後の1950年代 F9F-5パンサーの配備されていた時代に朝鮮戦争が勃発、それに伴って1953年に海軍厚木基地に展開し、日本上空のエア・カバーを行ったようである。1957年からA-4Aスカイホークを受領し、1965年の10月には当時の南ベトナム、チュ・ライ基地に展開、戦闘に参加した。1966年にA-6Aイントルーダー攻撃機の配備を受け上述の通り海兵隊として、初めて空母に搭載されて北ベトナム攻撃に参加している。
In 1966 VMA- 224 was relocated to Marine Corps Air Station Cherry Point, North Carolina. The squadron received A-6A Intruder and thier was redesignated Marine All Weather Attack Squadron 224 "Bengals" and assigned to the 2d Marine Aircraft Wing.
↑ 1991年百里基地に展示されたVMA(AW)-224のA-6E/Bu.No.161688。
↑ 上の2枚は、1977年10月嘉手納基地のR/W05にて撮影したVMA(AW)-224のA-6E。尾翼のマーキングは、白地に赤。
↑ 1984年厚木基地に飛来したVMA(AW)-224のA-6E/WK-09/Bu.No.155661。ロービジの極みという塗装であった。
↑ 築城基地航空祭に展示されたVMA(AW)-224のA-6E/WK-506/Bu.No.161689。当時の勤務地 島根県松江市から自動車で比較的手軽に行ける基地だったので、松江にいる間は良く築城基地を訪れた。
↑ 1987年にベンガルスが岩国に駐留した半年の間に横田や築城などの航空祭に展示されたので、消えゆくA-6E/Bu.No.154158の最後の姿を見送ることができた。すっかりグレー色のロービジ塗装であるが、機首番号などは黒ではっきり書かれており写真が冴える。
”Bloken Wall Bengal Tiger” in A-6E tail Wing"
Wings
HOME
NEXT
click here
(1987)
(1987)
(1987)
↑ ここからは、横田基地に飛来した当時のVMA(AW)-224のA-6Eを横田基地を中心に活躍していた”ちゃりんこ部隊”の友人が捉えたもの。