Wings
1976年夏から岩国に派遣され1977年に夏まで1年間岩国に駐留し、厚木にも飛来した黒い尾翼のムーンライタース。そのマーキングに魅せられて憧れの対象となったVMA(AW)-332のA-6Eは、1979年5月再び岩国に派遣された。今度こそはしっかり撮ってやるぞ!・・と意気込んだものの直ぐにその腰骨を折られてしまった。1979年版のマーキングは日本に派遣された海兵隊A-6E部隊で最初の低視認塗装となっており、尾翼は、グレー一色!グラッジエーションどころかお月さんさえも省略されていた。部隊名はムーンライターのままだが、その尾翼には、流れ星があるだけだ。同時期に岩国に派遣されていたA-4MのVMA-211がフルカラーマーキングだった為で、なぜこの部隊に限って海兵隊の模範生を演じるのかとがっかりさせられたものである。この飛行隊は、1年岩国に駐在した最後の飛行隊となり、以降は半年のローテーションに変わっている。A1979年の百里の航空祭で展示されたほか、夏から撮影に行った嘉手納基地での彼らの訓練の模様をこのページでは紹介したい。
1979年7月岩国より嘉手納に移動訓練に来ていたVMA(AW)-332の各機。このとき確認できた機体は、表のとおり。
EA-351 159178
EA-352 159180
EA-353 154135
EA-354 159183
EA-355
EA-356 154148
EA-357 155674
EA-361 154129
EA-363 152641
EA-366 159310
VMA(AW)-332は海兵隊航空の中で、A-6Eイントルーダーを使用した最後の部隊として記憶されている。1993年夏までA-6Eを使用して、FA-18Dに機種更新された。
↑ 1979年の百里基地祭に展示されたVMA(AW)-332のA-6E(EA-357)。ロービジとは言え塗料は反射を抑えたものではなく、従来の塗料である。
↑ この機体は空母運用したのか、または、他の機体と違った役割を負っていたのか、レードームに識別用の黒のペイントがある。単に海軍機の部品流用かもしれない。
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嘉手納基地に撮影ポイント、サンパウロの丘前で離陸の指示待ち待機中のA-6E。私は、丘を降りてA-6Eの後方からのショットを狙ったが、この後エンジンをふかしたA-6Eからの熱いジェット後流に身体をさらすことになる。丸焦げになる前に緊急退避である。
下の写真と合わせてみると判るが、左右でインテーク周りの塗装が異なる。左側面はオールグレーに見える。またA-6Eとしては珍しく、インテイクに”CHECK SIX”(6時の方向に注意)のマークを入れている。