VMFA(AW)-533
2008年8月23日 横田OPENに展示されたVMFA(AW)-533のFA-18D2機 04&14である。このオープンに参加するため 私は中国戦線から自腹で転戦してきたにもか変わらず 生憎の雨模様であった。ただ 私にとっては、7年ぶりの再会であり しかも”ED"のレターを入れた機体は、FA-18Dでは最初のご対面である。 この2機が撮れただけで わざわざ帰国した甲斐はあったと納得していた。私にとってこの日の目玉は、この2機の他 ”DT-05"とハワイから来たC-17Aであった。
VMFA(AW)-533は、生い立ちも少し変わっている。太平洋戦争中期の1943年10月に創設されたのだが、何と夜間戦闘機部隊として ヘルキャットの夜戦型 F6F-3Nを使っていた。部隊ナンバーも 将来A-6Aを使用することを予期したような”FMF(N)-533”である。夜戦の戦闘能力を駆使して 敗戦間近の必死の夜間艦船攻撃を敢行する我が日本海軍の一式陸攻などをバタバタと血祭りに挙げてくれた憎き飛行隊でもあった

 。太平洋戦争後は、他の海兵隊航空部隊と大体同様の変遷で バンシー、パンサー、スカイホークと言った機体を使ってA-6イントルーダーに移行している。1967年の4月にベトナムのチュ・ライに展開 同時期にVMCJ-1に変わってダ・ナンに展開したVMCJ-2と共に 北ベトナムの夜間攻撃を担当した。1969年の10月には岩国にも展開している。ベトナム戦たけなわの頃は、よく日本で見ることの出来た飛行隊であったようだ。
ベトナム戦の頃 岩国に駐留していた際 施されたマーキングの一つ ラダーの塗り分けは、オリーブドラブとダークグレーであり 実戦を意識したロービジマーキングと想像される。これ以外にラダーに異なったマーキングもあった。
Wings
A-6E
(1998)
(1998)
FA-18D
(1990)
(1990)
(1990)
EDの塗装の中で 最も代表的でしかも美しいもの。A型とE型共に このマーキングを施した時代があり 岩国に駐留した時期と重なった為 多くの航空ファンが撮影している。
1980年4月から10月までの半年間 海兵隊岩国基地に駐留していたVMA(AW)-533のイントルーダーは、下写真のように美しいマーキングを施していたが、10年後の1990年4月に再び飛来したときには、すっかりロービジとなっていた。
VMFA(AW)-533のFA-18Dに 機種改変になってからも 日本にはめったに顔を出さない部隊の一つである。2001年1月に岩国に6ヶ月いたが、その間は、航空祭そのものも少なく 僅かしか撮ることができなかった。MCASビューフォートに所属する飛行隊は、ビューフォート以外に地域に派遣される際は、テール・レターを”BM"にしなさいとの アホくさい命令のお陰で 日本のマニアは、”BM"レターの機体ばかり撮ることになった時期もある。
VMFA(AW)-533は、2008年3月20日にVMFA-312”DR"の後任として 岩国基地に派遣された。実物を見たことはないが 飛行隊長機になっている”ED-01"は、往年のイントルーダーA-6時代のダークブルーにチェックの入った尾翼と”HAWKS"の文字が入った燃料タンクで 一度は撮ってみたい機体だ。
(2008)
(2008)
(2008)
(2008)
VMFA(AW)-533のコマンダー指定機ED-01のマーキングは、ほとんど大きな変化が無いが、下記の塗装は2004年当時のものを再現したもの。2008年当時も大きな変更は無かった。このマーキングが最もこの部隊らしい。
2009年7月15日より岩国に展開したVMFA(AW)-533 昨年去ってまたの来日 某国展開している私にとっては、横田に展示されたこの機体だけが 唯一の収穫である。今回もED-01(Bu,No,164959)は、従来のブルーの尾翼と燃料タンクをつけて マニアを喜ばしたが 航空祭には展示が無かった。2009年11月14日から7日間のスケジュールで 7機が小松基地に展開 G空域でのDACTを行ったので 多数のマニアが小松展開をしている。
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