VMFA-115は、ベトナム戦争の前後から長期にわたり岩国に駐留していた為、本飛行隊がF-4ファントムを使っていた時期は、日本の軍用機マニアには最もなじみ深い部隊であった。私個人的には、この部隊との縁が薄かったのか 撮影の機会にはあまり恵まれなかったが、シンプルで美しいマーキングは常にマニアの憧れの的でもあった。

 1977年のある日、私は写真撮影の為、横浜から相鉄線に乗り進行方向の左側窓にポジションを取った。そしていつもの様に相模大塚の駅に着く前の車両の窓越しから厚木基地のエプロンを覗いた。電車はまだ減速前であり車窓からエプロンが見えるのはほんのわずかな一瞬に過ぎないが、「今日は何が飛来しているか」と”その一瞬”をいつも期待を込めて見るのが習慣になっていた。

 その日、その一瞬に目に飛び込んできたのは、海兵隊の2機のF-4J!!しかも尾翼を3色に塗り分けた建国200周年記念塗装のVMFA-115のF-4Jがエプロンで既に飛行準備に入っていた。この時の興奮と焦りは、今でも忘れられない。それが航空雑誌で見たバイセンティニアルのVE-000であることは1目瞭然で、すでにACLを点滅させていたので、今にでも離陸するのではないかと気が気ではなかった。撮影ポイントまで猛Dashで向かったのが、昨日の事のように鮮明だ。幸い2機のF-4Jの離陸には間にあった。この2機はローカルフライトで再び厚木に戻ってくれた為、お墓でタキシングも撮れ それから1週間ぐらいは幸せな気分だった・・・この気持ちマニアでなければ理解できないだろう。FA-18Aに機種更新してからは、F-4J時代以上に撮影の機会に恵まれているものの、F-4Jを撮影出来たあの日の興奮は何故か蘇る事がない。
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VMFA-115は、VMF-115として1946年にカルフォルニア州サンタバーバラで生まれている。太平洋戦争ではF4U-1コルセアを使用して、フィリピン方面を舞台に活躍した。その後、朝鮮戦争・ベトナム戦争と大きな戦いには全て参加している。特にベトナム戦では34000回以上の出撃回数を記録し、14機を戦闘で失った。パイロットも21名が戦死する等、最も酷使された部隊の1つであろう。当時は”Able Eagles”と呼ばれていたらしいが、このベトナム戦での活躍で多くの賞を受賞している。1977年7月に本国のMCAS Beaufortに本拠地を移している。
朝、離陸した2機のF-4Jは、小一時間で再び厚木に着陸、風向きはR/W01の為ランウェイのエンドまでタクシングしてくれないと撮れないが、運よく2機ともエンドまで来てくれた。この時は装着していた白黒フィルムを外して、わざわざコダックのネガカラーで撮影した。スライドフィルム等と言う高価な物は、当時私のような貧乏学生には買えなかったのだ。
Wings
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VMFA-115
Old Insignia in WW-Ⅱ
VMFA-115がテールレターを”VE”にしたのは1957年、それまでは”AE”を使っていた。F4D-1を使用していた1958年ごろに台湾海峡の金門島/馬祖で大陸中共と台湾との間の紛争が勃発、VMFA-115は台湾からの補給路を防衛する役割を負っていた。
F-4J