1991年デザート・ストームに参加した際のVMFA-235 DB-00 F/A-18C  Bu.No.163789  実戦に対応したオールグレーの完全なるロービジ塗装である。
1994年岩国に駐在した際のデス・エンジェルスの隊長機.F/A-18Cの初期型でありIFFアンテナ等もない。この機体だけが、赤いシェブロンを復活させたものだが、それ以外の部分はロービジが徹底されている。センタータンクの部隊名が入っている。F/A-18C DB-00  Bu.No.163702
VMFA-235
FA-18C
1994 DB-14 Bu.No.163743
Wings
Page-2
DB-12
DB-15
DB-12 
Tail-Marking 1995
HOME
1989年11月VMFA-235 Daeth Angelsは、FA-18Cを受領し、翌年に発生したイラク軍のクウェート侵攻に伴いデザート・シールド作戦に従事。1990年8月バーレーンのシャイフ・イサ空軍基地に配備され、この作戦で最初に活躍した飛行隊として名を成した。砂漠の嵐作戦において海兵隊は、海空軍と迅速さを争う形で遠征が進められ、8月には第一陣として第一海兵遠征軍から45000人が派遣されイラク軍に対峙するとともに、海兵隊航空も空からの支援の為F/A-18A,C,Dを持つ6個飛行隊が派遣された。ハワイの第一海兵旅団からは、VMFA-235と共にVMFA-232からも各12機が派遣され、翌年1月17日から始まった本格的な空爆と地上軍の援護などで活躍。開戦初日にイラク軍のMig-25にFA-18(所属不明)が撃墜されるなど被害もあったが、ほぼ完全勝利の形で戦争は終結した。VMFA-235と言えば、、彼らの出撃回数は2800回を記録し、7か月間の作戦期間を経て母の基地ハワイに戻った。
↑ 1992年9月三沢基地に展示されたVMFA-235 DB-10 Bu.No.163747。1か月前に岩国に配備されたばかりの頃である。下写真の"DB-10"とは、機体も異なるが塗装も若干異なる。
1994 DB-07 Bu.No.163782
1994 DB-10 Bu.No.163725
1995年インシグニアや機番が薄いグレー色から 黒に近いダークグレーに塗りなおされた。これによりVMFA-235のマーキングは、アクセントがはっきりして見栄えが良くなった。F/A-18C DB-03  Bu.No.163715
VMFA-235のFA-18Cの初来日(岩国配備)は、意外に遅く1992年8月である。彼らが1987年に岩国基地を去って5年ぶりの来日となった。次に1994年 1995年と2年続けて 海兵隊岩国基地配備となったが その後来日しないまま、アメリカ本国で解散したので残念である。真っ赤なレードームに白い星をちりばめたFA-18Cを夢見ていたのだが・・・・
↑ 1994年横田基地で撮影したFA-18C DB-07とDB-10。DB-07のほうは中央の燃料タンクに部隊名が入っている。
1994 DB-00 Bu.No.163699
1995 DB-12 Bu.No.163727
On 1 August 1995 VMFA-235"the Death Angels" deployed to MCAS Iwakuni, for their final UDP.