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VMFA-314
VMFA-314は1943年10月に創設された部隊で、MCASチェリー・ポイントでVMF-314としてF4-Uコルセアを受領し、太平洋戦争末期の沖縄戦に参加している。1952 F-9Fパンサーに機種更新し、1962年6月海兵隊で初めてF-4ファントムを受領した部隊として有名である。翌年から早速ベトナム戦に駆り出され、ダ・ナン、チュ・ライを拠点に出撃を繰り返した。VMFA-314のF-4N時代は、尾翼を真っ黒に塗りこめ”VW"のレターを白で入れており、胴体にはナイトの矛を描いた実にシックな出で立ちであった。その後暫くは、MCASエルトロから日本に派遣されることは無く、雑誌で見掛けるだけの飛行隊であったが、1982年FA-18Aに転換してから岩国にも来る様になった。この飛行隊はFA-18Aに関しても、海兵隊で最初に機体を受領した部隊である。(2006年6月記)
ダブルナッツ”00”のVMFA-314コマンダー機以外は、とっても良い子のスズメバチ君達で、毎日せっせとJDAMの訓練弾(ブルー)をぶら下げてお仕事に出かけ、計算していた時間通りで戻って来てくれた。尾翼にナイトか何かのワンポイントマーキングがあれば言う事無しなんですが。
1991年の湾岸戦争は、まだ皆さんのご記憶に新しいと思う。1990年8月2日イラク軍6万が突然クウェートに侵攻、領土の併合を目指したことから始まるわけだが、8月から翌年1991年1月までの間約5ヶ月半、イラクに対する撤退の要求と反攻への準備が進められ、遂に1991年1月17日に湾岸戦争反攻の火蓋が切られた訳である。海兵隊はFA-18の飛行隊を6個も湾岸戦争に投入したが、その一つがこのVMFA-314で、当時、MAW-3エルトロ海兵隊基地からの派遣であった。同じエルトロのMAW-3からは、VMFA(AW)-121”グリーンナイツ”も参戦している。6個もの飛行隊が1度に投入されたため、湾岸戦争の間は岩国へのローテーションがストップした。
 VMFA-314は、1991年1月16日からイラクに展開。3月までの間 海軍・海兵隊のどの飛行隊よりも多い出撃回数を記録したと言われる。彼らの任務は、航空援護/Migにたいするインターセプト/地上攻撃等で、814ソティ/1500時間を超える作戦時間を誇った。この間、一機の損害もなかったのは幸いである。
2011年4月6日、嘉手納3日間の撮影行が今日で終了という日、今回ハリアーが3機ほど撮れたので取敢えず満足。片や基地に姿のなかったFA-18は、もう撮れるチャンスが無いとすっかり諦めていた。午後3時には道の駅を離れ空港に向かわねばならない。午後の3時間で多少の写真が撮れれば、それで充分満足と幸運を神に感謝していた。昼を回って12時20分頃、長年の友人W氏 「ナイトが訓練でこちらに来るよ!あと20分ぐらいで下りてきそうだ・・・」と突然の御言葉!!海兵隊のホーネットは、もうすっかり諦めていたので嬉しい知らせである。間も無く4機が西の空に姿を現し、オーバーヘッドである。VMFA-314は今回 背中のナイトに色が付いている。もう2-3日居れば、訓練でずいぶん撮れるだろうが贅沢は禁物、今日部隊が来ただけでも運が良いと、またまた神に感謝してレンズを構えた。
上写真のVMFA-314 VW-12は、他の機体と異なりセンタータンクとしている。JDAMとのバランス上は良いのかも知れないが、何故この機体だけセンターに増装タンクを付けていたのだろう。タンクにはグロスブラックで長槍と兜が書き込まれ、これが唯一この飛行隊の地味マーキングを補って絵になってくれる。
(1989)
(1989)
(2006)
VMFA-312のページで、2007年12月の嘉手納行の経緯は述べたので此処では省略するが、12月に移動訓練で嘉手納に展開したF-18飛行隊の1つがVMFA-314であった。私はこの飛行隊の撮影チャンスに過去あまり恵まれなかった。F-4Nから最初に海兵隊のF-18飛行隊に転換した飛行隊であったが、何せマーキングが機種交換以来、ずっと「地味の代表格」でちっとも撮影の意欲をそそらない。半ば馬鹿にした存在であったが為、向こうからも見放されていた。海軍機を中心にブラックテールが流行する中、この部隊こそ司令官機にブラックテールを持ってきて一番似合う飛行隊のはずである。 今回もまた、伝統の味気ないマーキングで来日かと思っていたら、何と意表を突いてAVビデオのモザイクのような塗装でお出ましである。マニアの間では”ピクセル君”で既に馴染みの機体となったが、嘉手納ではフライトしたのは良いものの、普天間基地に道草を食いに行ったりして散々我々を待たせた上、やっと嘉手納に戻ってきたかと思ったら、ブラックテールのWE01のハリヤーとアプローチが重なり、おまけにR/W05 leftに降りおった。お陰でハリアーをR/W05 Rightで撮影してから、R/W05 Leftに猛ダッシュさせられ、何とかものに出来たもののマニア泣かせのスズメバチである。(2007/12/26記)
2011-4
2006年に私のフォーカスに納まってくれたVMFA-314のパイロット、左の初来日のパイロットを撮影した頃は、彼は未だよちよち歩きの子供だったはずだ。
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FA-18A
Wings
(VW-00)
(VW-07)
(VW-05)
(VW-03
(VW-02)
ほれ、タンクにマーキングが入っていないと淋しいと言うか気合いが入っていない感じですね・・・・VMFA-314 ”VW-14”
まずは、VW-00,VW-02、VW-03、VW-07の4機、雨が降った翌日だったので晴天では大量の陽炎が出るのをすっかり忘れていた。着陸ポイントは時間的に間に合わないが、せめてもう少し近い位置で撮らねばと、次の2機の撮影はポイント移動することに。
(VW-14)
(VW-12)
(VW-11)
(VW-10)
15分後の12:55分 FA-18A第2陣の2機が降りた。VW-04/VW-09である。VW-09は、地元の人曰く「久々の4本タンク」(燃料タンクを4つ下げているという事)らしい。背中ナイトは、オリジナルカラーの黒黄、鉾は赤である。次の第3陣が来ていたが、1機が不調で岩国に戻ったらしい。尾翼に大きなナイトの鉄仮面を描いたVW-01は第3陣に含まれていたようであり、どうも不調の彼がそうだったようだ。残念・・・

    20113月に岩国に配備されたVMFA-314、所属機全機の上部胴体左右に部隊マークが3色カラーで入る久々に多少色気のあるマーキングで飛来したが、隊長指定機は、尾翼にナイトの兜が大書きされたさらに派手なものだった。F/A-18+ ,Bu.No.1624002014年には、ほぼ同一のマーキングが踏襲され F/A-18A163416に描かれた。