OV-10ブロンコと言う機体 どこか懐かしさを覚える機体形式であるが よく考えると第2次大戦のP-38ライトニング戦闘機と共通の設計思想で作られている。”ぺロ八”と日本軍からは軽く見られていたP-38であるが それは制空戦闘における脆弱な面を揶揄しただけであって この戦闘機の本領は、其の重武装にあった。双胴にしてエンジンをコックピットと分けることにより 出力が上がると共に重武装が可能になり しかもドイツのBf-110のような全くの双発戦闘機よりは、はるかに機動力がある。OV-10は、対ゲリラ戦(COIN)において このP-38の重武装と機動性を求められていたので 同じような機体となった。
 1976年厚木で初めて目にした機体に描かれていた”WB”のテールレター VMO-6、私自身は、あまり撮れなかったが友人の写真も踏まえて懐かしい機体をご紹介しよう。 
VMO-6
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Wings
この飛行隊は、海兵隊航空部隊の中でも非常に歴史のある部隊だそうで 1920年にその前身である海兵隊第3飛行隊-フライトEという部隊名で活動を開始し その任務はその後一貫して偵察・観測であった。1927年には部隊名は”OV-6M”海兵隊第6偵察飛行隊となっている。1945年の太平洋戦争末期沖縄戦に出撃しており その時点ではVMO-6と言う部隊名になっており 読谷飛行場に展開したとされているので 沖縄とは縁のある部隊である。

Marine Observation Squadron Six was established as an active aviation unit on 20 November, 1944 at Quantico, Virginia. After a short training and qualification period with the OY-1 observation aircraft, the squadron was transferred to Camp Pendleton, California to train with the 6th Marine Division, which was formed at this time.

上のVMO-6HistoryによるとVMO-6と言う部隊名となったのは、1944年11月20日で ある。

ノースアメリカン社で1967年6月に初飛行したOV-10Aは、その後海兵隊向けだけで 114機が作られた。翌年には早速ベトナムに送られて実戦に使われているが すぐに武装の強化や航続距離の延長の為 翼の長さを3メートルほど延長して12.2mにされた。
胴体後部の丸い部分は、貨物スペースになっており 敵地にこっそり空挺隊員を降ろすこともできる、このスペースには5名の空挺隊員を収容できるそうであるが 椅子もなくかなり窮屈な状態で押し込まれるらしい。もちろん 輸送としてのカーゴスペースにも使える。