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1965年に尾翼の稲妻の元となる最初のマーキングが部隊の全機に入れられたそうで、その年の7月に岩国基地に配備されている。この岩国基地からベトナム方面にマーケット・タイム作戦の支援を行ったとされる。マーケット・タイム作戦は当時の北ベトナムから南のベトコンへの物資や武器の海上からの輸送を監視して、阻止する任務で多くの対潜哨戒部隊が参加している。

VP-17

(1946〜1995)

尾翼に”白い電光”とベースであったNASバーバース・ポイントを示すレインボー、VP-17は派手なマーキングの多かったP-3の部隊の中で、色彩的には目立たないものの、落ち着いたデザインで人気が高かった。1944年1月にバージニア州ノーフォークでPBM-3Dを受領して編成された古い部隊である。インシグニアは、右の通り白頭鷲が爆弾で共産圏の潜水艦を正に破壊しようとしているデザインだが、”white Lighting”の命名の由来は判らない。私が厚木に通いだした1976年頃はまだP-3Bを使用しており、C型への更新は1980年代後半に入ってからだと記憶している。"Y"とか"R"とか""P"で始まるテールレターが多い中、"ZE"のテールレターと言うのも変わっていたし・・厚木でもそれほど撮影の機会が無い被写体だった為、撮れた時は非常に嬉しかったP-3の一つだった。残念ながら1995年3月末で飛行隊は解散している。
Wings
Tail-marking Pattern-1
Tail-marking Pattern-2

1968年にVP-17は、P-3Aを受領して、1969年には再び岩国基地に派遣され、分遣隊を厚木基地にも置いていた。1970年所属のP-3A(Bu.No.152159)がアメリカ本土のネリス空軍基地で飛行中に爆発して、乗員10名全員が死亡している。

1956年2月4日 VP-772は、正規部隊に編入されVP-17と言う部隊名になっている。同年8月に機種をP2V-6ネプチューン対潜哨戒機に更新を開始した。また1956年に沖縄の那覇海軍航空基地に派遣されている

VP-17は、第二次大戦後間もない1946年にカルフォルニア州NASロスアラミトスで創設された。創設時は、VP-916という部隊ナンバーで予備役へ後退の一つだったそうだ。当初配備されたのは、PV-2とPBY-5Aカタリナ飛行艇だった。1949年にVP-772に改称され、1951年1月に日本の岩国基地へ配備されている。岩国基地を起点に勃発した朝鮮戦争へ参加、予備役飛行隊で朝鮮戦争へ出撃した最初の飛行隊であった。

(1993)
(1993)
ZE-2/153451
ZE-6
ZE-17

↑ 私が唯一リーバーサルフィルムで撮ったVP-17のP-3B/ZE-17。1986年までB型を使用していたので撮る事が出来た。

ZE-17/154590
ZE-11/153453
ZE-7/153444

1974年VP-17は、沖縄の那覇基地に配備されたが、那覇に配備された最後の対潜飛行隊だった。1975年から嘉手納基地に新設された海軍機エリアで活動を始めている。この海軍エリアを使用した最初の対潜飛行隊でもあったそうだ。1978年にP-3Bに機種更新し、1986年まで8年間B型を使い続けた。

ZE-6/153455
ZE-4/153457
ZE-1/153454