VP-48

(1946〜1991)

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1945年にミシガン州の”Gross Ile”の予備役部隊基地で創設されたVPB-905飛行隊が、VP-48の前身らしい。1953年にVP-48となりP-5Mマーリン飛行艇を使用し始めたが、その時には既に尾翼に「SF」のレターを書き込んでいた。”SF”のテールレターと週末しか飛ばないような印象があったのか、口の悪い人からは”Sunday Fliers”と呼ばれていたそうである。
 1971年には早くもP-3Cを受領しており、VP-4と同様 Modex、Tail-Letter共に斜体文字を使って書き込んだ飛行隊だった。後に通常の字体に変更されたが、私はどちらかと言えば斜体文字の方がこの部隊らしく好きであった。既に解散してしまい、それまで撮影の機会が少なかったのが残念だ。

↑ 上写真は、1978年の三沢基地での展示機である。VP-48がP-3Aオライオンを受領したのは1967年1月で、その時点から本拠地をカルフォルニア州のモフェット・フィールド海軍航空基地に移している。その年の7月には、岩国基地に派遣され1968年1月まで半年間駐留している。この時P-3A(Bu.No.152144)を事故で失ったとされる。乗員は全員死亡とされる悲惨な事故だった。また1968年1月23日に発生した北朝鮮沖でのプエブロ号拿捕事件に伴うフォーメーション・スター作戦でハワイから日本海に派遣された原子力空母エンタープライズを中心とする機動部隊の対潜哨戒を行っている。

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Wings
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↑1986年三沢基地に展示されたVP-48のP-3C/SF-7。白のシャドーが無いとブーメランも目立たなくなってしまう。

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SF-1/158221 New-Marking

↑ 1986年 Modexとテールレターが斜文字から普通の字体に変わり、白のシャドーが無くなったマーキングとなった。

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VP-48は1978年に三沢基地、1979年に嘉手納にも派遣され、インド洋に浮かぶディエゴ・ガルシア島の分遣隊は、1979年1月急変したのイラン革命の間、出動命令に対応できるよう待機をしていたとされる。

VP-48は1968年2月にP-3Bに機種更新し、その年の12月にアラスカ州のNASアダックに配備される。1970年にはベトナムのカムラン湾に分遣隊を出して、北ベトナムから海上ルートでベトコン(南ベトナム解放戦線)への武器や物資の輸送を監視、阻止するために活動。1971年5月飛行隊は、フィリピンのNASキュービーポイントへ移動している。この時にもエンジンのタンクに誤って洗浄液が注入された事が原因で、離陸後4つのエンジンが全て発火して墜落、但し離陸直後で運よく死者は1名だけだったようだ。1972年グアム島アガナ海軍基地の分遣隊のP-3が、ソ連の弾道ミサイルのレーダー観測艦を追跡中に、ソ連の弾道ミサイルがテストコースに弾着する様子を捉えたと記録されている。

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New-markig of VP-48 Bomers
...(non-whiteshadow)
Tail-marking Old-pattern

1986年VP-48は、P-3CのMODバージョンを受領し、新しい慣性航法システムと対艦ミサイル ハープーンの運用能力を得ている。1990年8月に砂漠の嵐作戦の支援に活動した後、1991年月23日に部隊は解散している。

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