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VP-6
1972年11月末から1973年5月までVP-6は、再び沖縄の那覇基地を拠点に、タイのウタパオに分遣隊を派遣するなど東南アジア海域の哨戒任務を実施、ベトナム戦終結の最後の期間にフィリピンから日本における海域の担当をした。そして、1973年の後半に当時P-3飛行隊の巣であったハワイ・バーバースポイントへ移動した。
PC-1./154590
PC-3/154589
PC-4/154588
PC-7/154589
New−Marking PC-8/154588

(1943〜1993)

この部隊も冷戦終了後の軍事費大幅削減の煽りを受けて解隊されたVPの1つである。VP-40のカジキと良く似た構図で鮫を尾翼に大きく描いていた為、P-3マニアには特に人気のあった部隊だった。PBS-146がVP-46の前身で1943年に創設されている。大戦中は、ハワイからボルネオまでの南太平洋を受け持ち地域として哨戒任務にあたった。
 P-3を受領したのは1965年、ハワイのNASバーバースポイントに本拠地を置いて嘉手納にもローテーションで配備されたが、私はあまり撮影の機会に恵まれず厚木と嘉手納で4-5回出会っただけであった。1993年5月に閉隊。(2002/3 記)

P-3Aを受領する前まで使っていたのは、ネプチューンの改良型SP-2Eで、ベトナム戦争当時は、沖縄の那覇基地をベースにトンキン湾と南シナ海の監視とASWパトロールを任務としていた。1965年から岩国に移動し、それまでの5500時間の無事故安全飛行に対し”Forces Expenditionary Medal"を受賞している。同年VP-6は、P-3Aオライオンに機種更新した。1967年バーバスポイントで初めて空対地ミサイルブルパックを運用する飛行隊となり、地上目標の攻撃任務が加えられた。

VP-6の鮫の絵柄は、1975年から受領したP-3B時代にも変化している。当初は写真のように鮫の絵は直線的に描かれていたが、1979年には、下に掲載の白黒写真のPC-8番機のように尾びれを持ち上げた図柄となった。どちらも鮫の青色が実にあでやかで撮影できた日は、本当にうれしかった。1975年部隊は、P-3部隊として初めてグアムのアガナ海軍基地に分遣他を派遣し、これは1976年3月まで続いた。
1977年にVP-6はバーバースポイントにて、P-3Bの機器類をバージョンアップする改造を受け、P-3B TACNAV MOD(P-3B MOD)となった。これは、より強力なエンジン、最新のナビゲーションシステム、アップグレードされたアビオニクスを搭載した”スーパーB”と呼ばれる機体であった。

↑ 上写真の1979年頃、VP-6は、再びアガナに分遣隊を出してマリアナ諸島などの監視業務を行い、フィリピン海域まで進出していた。丁度この頃60000時間の無事故記録を達成して”Arleigh Burke Fleet Trophy"を受賞している。

PC-11/154578
Wings
ロ−ビジになっても 尾翼の鮫は健在だった。左は横田基地のOHに展示された時に撮影した尾翼のアップだが、尾っぽのカーブが若干ハイビジの時と異なる。しかし”Blue Shark”は、やはり青で居て欲しかった・・