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(1995)
(1995)
New insighnia of VP-9
(1995)
1977年8月初めて嘉手納に出かけたとき嘉手納の海軍スペースにいた部隊が、VP-9。厚木でも なかなか番号が揃わないP-3の列線を見た際は、やはり感激である。1週間で ほぼ全機をファインダーに収めることが出来るのだ。残念ながらこの時は、まだコダックの白黒フィルムを使っておらず 粒子がはなはだ粗いのであった。
↑ 1979年の入間航空祭にて展示されたVP-9のP-3C。後方にVMA(AW)-553のA-6Eも展示されている。1971年の名古屋国際航空祭でもVP-9が参加している。
(1995)
(1995)
(1995)
Tail-Marking(1978)
Tail-Marking(1979)
ロービジになってからは、部隊に1機しか存在しない部隊長指定機のみテールにマークが入っているため 時たま撮れると感激したが その他のノーマークのP-3Cを撮る意欲はほとんどなくなってしまった。
Tail-Marking(1995)
PD-003(161003)は、2002年12月から確認された隊長機で 機首の003は、黄色いシャドーが入っていた。
VP-9は、1951年3月にNAS Whidbey Islandで編成された飛行隊で、当初はP4V飛行艇を使用していた。彼らの戦闘記録には朝鮮戦争時代、海兵隊機の爆撃支援の為北朝鮮に侵入、夜間フレアを攻撃目標に投下するなどの任務も熟したようだ。1953年にネプチューンを受領、10年後の1963年にP-3A、3年後にはP-3Bに機種更新している。長らくカルフォルニア州のNAS モフェット・フィールドをベースにしており 日本にもよく訪れた部隊だった。1976年にP-3Cを受領し 私が始めて沖縄の嘉手納を訪れた1977年の夏には 嘉手納をベースに哨戒任務を行っておりシャッターチャンスには恵まれた部隊だった。
ハープーンミサイルを投げる鷲のマークを尾翼に大きく描いていたが 遠くからだと何が書いてあるか判らず、後に入間の航空宇宙ショーに展示された時に尾翼の絵柄をじっくりみて納得した。最近のマークはミサイルから爆弾に変わっており、何か意味があるのだろうか?まぁ 海に潜る敵に対しては、絵柄的にも対潜爆弾の方が相応しいと修正されたのかもしれない。
Old insighnia of VP-9
↑ 顎のないP-3B時代のVP-9.基本的なマーキングは、P-3Cになっても変わっていない。初期は、”PD”の下にインシグニアがなく 機番が書かれていた。
Tail-Marking(1977)
VP-9は、1976年にP-3C アップデートTに転換し その後 沖縄嘉手納に派遣された。P-3Cで初めてインド洋へ展開した部隊である。1984年には、部隊として最初にディエゴ・ガルシア島に6ヶ月の駐留派遣を実施している。