1976年厚木基地で撮影を始めた頃、よく見かけたC-9BがVR-30の所属で”RW”のレターをつけていた機体である。ある時期から"RW"のC-9Bが突然来なくなって(後に解散したことを知る)、その後に良く目にするようになったのが"RU"のレターを付けたC-9Bだった。当時は厚木基地に行けば殆ど撮れる機体だったため、関心が次第に薄れ 「イモ」扱いしてしまったが、VR-55のC-9Bが基地公開で展示されることはなくクルーを撮る機会には恵まれなかった。しかし 海軍の航空隊で女性パイロットが注目され始めた頃、この部隊にも女性パイロットが配属されて、それなりの話題を提供した飛行隊でもあった。
1976年にNAS Alameda(アラメダ海軍航空基地)で設立された飛行隊で、私が航空機写真撮影を本格的にはじめたとほぼ同時期からの部隊の歴史が始まっている。海軍予備役の輸送飛行隊として、最初にC-9Bを使い始めた飛行隊で、1993年にC-130Tに機種変更。(2006年5月 記)
↑ 1976年9月にアラメダ海軍航空基地で撮影されたVR-55のC-9B/Bu.No.159115。右手胴体には、”VR-55 ARAMEDA”の文字
予備役郵送飛行隊ではあるが カルフォルニア州アラメダに本拠地がある関係で日本にも良く来た。1986年4月には岩国基地に配備されたVMFA-323(F-4S)の要員の輸送も担当している。
VR-55は、1990年からデザート・シールドやデザート・ストームなどの大きな作戦に空軍の輸送部隊の一員として投入され、陸軍および海兵隊の兵士の輸送を担当した。また、ユーゴスラビア紛争の後期、ボスニア紛争の際はシシリー島のシゴネラ基地をベースに輸送業務に従事している。写真は1979年7月嘉手納基地に着陸するC-9B/BuNo.159113
↑ 1979年9月に撮影されたVR-55のC-9B/Bu.No.159120 撮影地は不明。
↑ 1982年5月に厚木基地で撮影されたVR-55のC-9B/Bu.No.160051”City of San Francisco"
↑ 1993年5月厚木基地で撮影されたVR-55のC-9B/Bu.No.159120 ”City of Oakland"
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VR-55のインシグニアは、”馬で駆けるミニットマン” ミニットマンは、ICBMにも付けられた名称で有名だが、独立戦争時の兵士の事で何かあれば分単位で現場に駆けつけるという意気込みを示したもの。1976年にNASアラメダで創設式典を行った同隊は、丁度建国200周年の祝いの年とも重なり、200周年ミニットマン部隊として3機のC-9Bと220人の隊員でスタート切った。
正式運行が開始されて1年でVR-55は、3030時間の運行時間と55507人の人員輸送実績を上げた。1983年には、地中海、中央アフリカまで任務を広げ 内戦で苦しむホンジュラスへの人道支援などに従事している。
City of Oakland (RU-120)