(1960〜2004)

NE-712/160599

1979年夏 単機で夜間嘉手納基地に飛来して、翌日空母に戻って行ったS-3A。私にとっては2度目の撮影チャンスであったが、天候も悪く撮影の技術も悪い為、証拠写真程度のものである。

HOME

太平洋戦争中 日本がアメリカの潜水艦に輸送ルートを徹底的にたたかれ敗北への道をたどったのと同様、アメリカもイギリスやヨーロッパ諸国への輸送ルートをドイツのUボートに叩かれた経験から、海洋国家といて対潜戦闘には大きな労力と予算をつぎ込んだ。冷戦時機 空母打撃群にとって一番の脅威はソ連の原子力潜水艦隊であったことから、護衛空母という名目で多数の対潜空母を作り、専用の対潜哨戒機S-2E、S2-Fシリーズを展開していた流れから 大型原子力空母には対潜専用の飛行隊を持つ方針となり開発されたのが、S-3Aであった。

1976年にS-3Aとして横田に初飛来したVS-29、横田ドライブインで知り合った友人が撮影したもので写真を頂いたが、S-3Aを雑誌でしか見たことが無かった私にとっては本当にうらやましかった。この時 原子力空母エンタープライズからの飛来で NK-700のドラゴンシップの帆は、CVW各隊のスコードロンカラ―で塗り分けられていた。
NE-700/160578
1978年の厚木基地の公開の際、離陸して行ったVS-29のS-3A (NE-700)。横田で撮影された機体とは異なるシリアルナンバーである。

VS部隊は定数が、10機。通常700番から707番、710番 711番までで10機あるが、予備機であるのか、機体入替時一時的な番号かわからないが、712番と言うのもあったのだ。写真では出ていないが、給油用のプローブも尾翼のMAD装置も引き込み式であり、使用時のみ引き出された。

彼らの最後の任務は、2001年の不朽の自由作戦での運用で、実戦で使用された最初のS-3部隊だったようだ。この任務終了後、ほどなく部隊解散となる。1979年6月30日
NE-706/160596
NE-703/160593
コックピット後方のスーパーマンの”S"は、おそらく1978年に受領したSafety Award "S"を記念して張ったもので、彼らは、1961年から1993年の間に6回の受賞を達成している。この部隊は、この他にも多くの賞を受賞した極めて優秀な飛行隊だった。1979年6月30日

↑ 1998年にノースアイランドで撮影されたVS-29のS-3B。今までのマーキングとは大きく異なるものである。

NE-700/159387
NE-704/159398
NE-700/159390
新たに使われていたインジグニア
”水雷爆撃飛行隊”となっている。
Wings
”DRAGON FIRES”と名づけられたこの部隊は、1960年4月1日に創設された。1964年から太平洋方面での活動が本格化して、ベトナム付近のトンキン湾での活動を行っている。1975年にS-3Aバイキングへ機種転換完了して北欧のバイキングが使用したドラゴンシップをモチーフにしたマークを尾翼に入れていた。1974年7月にS-3Aの1機目を受領しているので VSとしては早いほうである。最初にCVW-14に配属されUSSエンタープライズで航海にでて以来 一貫して太平洋方面で活動してきた部隊である。1976年に2機が横田に飛来している。その後 CVW-2に配属がえになり USSレンジャーに搭載されている頃 嘉手納にも飛来して漸く撮影の機会に恵まれた。このときは、コクピット脇に スーパーマンのSマークを入れていた。その後1981年には、USSキティホークに搭載されCVW-15の傘下で運用されてる。CVW-15がUSSカールビンソンへ移動後は、1984年から1990年まで4回に渡り 同空母で航海に出ている。1991年からはCVW-11に移動し USSリンカーンに搭載されてフィリピンのピナトゥボ山噴火の際スービック湾海軍基地からの退避などで活躍した。部隊は、2004年に閉隊となった。