↑ CH-53Eは、恐らく普天間のHMH-466”YK"であろうが、テールレターが消されている為に所属原隊の確認が取れない。でもCH-53Eは私の大好物のヘリである。White Bearさんから、この時載っていた4機のCH-53Eの機番とビューアル・ナンバーは、27/Bu.No.164777、 29/Bu.No.165244、 22/Bu.No.163072、18/Bu.No.164365との情報も頂いた。
 今まで普天間のヘリ部隊は部隊が交代しても、特に大型ヘリは機体をそのまま残して次の部隊が引き続き使っているとの噂があったが、2024年11月まで普天間にいたHMH-361”YN"の機体との番号の重複が確認できないので、今回殆どの機体が部隊移動に伴って入れ替わっているようである。
Many Thanks to Mr.White Bear !!
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↑ 前方甲板のMV-22は、普天間駐留のVMM-262、ETのテールレターも見える。
↑ 甲板に積まれているヘリなど航空機は、マニアにとって関心事の一つ。甲板の様子も送って頂いたので、合わせてご覧いただきたい。MH-60Sは、HSC-25”RB"の所属らしい。因みに載っていた3機の機番とビューアル・ナンバーは、RB-7/Bu.No.168532、 RB-8/Bu.No.167881、RB-11/Bu.No.167854だったそうです。
↑ White Bearのお話によれば、通常大型艦はバックで写真の右方向に引き出され、艦首を左方向に向けた状態でそのまま画面の左方向に出港して行くそうですが、この時は引き出された後スムーズに動けず、一旦アンカーを打って停止した後、船体は潮の流れか風の影響で艦首が右方向に動いたため、1時間後にアンカーを上げて艦首を左方向に再度回頭させて出港を終えたとの事で、このように艦首が右を向いた状態で写真が撮れることは珍しいそうである。
↑ やはり沖に出ると風も強いらしく、波が立っている。ホワイトビーチは沖縄県うるま市に所在し、アメリカ軍と自衛隊が共同で使用している。戦前は日本陸軍の戦車部隊の駐屯地となっていた場所で、戦後はメースB(対地巡航ミサイル)やナイキ/ホーク等核を含んだ対空ミサイルの拠点であった。
↑ 桟橋に係留中のUSS アメリカに先立って出港して行くのは、ドック型揚陸艦のサンディエゴ(LPD-22)とのことで 昨年グリーンベイと交代でホワイトビーチ初入港だったそうです。。(White Bearさんから追伸)
LHA-6 USS America 
↑ ある程度沖に出ると船体を方向転換するようで、艦首を沖に向けて転回した後、自艦の動力で微速前進となるのだろう。アメリカ級強襲揚陸艦の外見的特徴である斜めに折れた煙突が見える。旧日本海軍の空母大鵬や信濃のようで,郷愁を感じる艦である。後方甲板に排煙が流れないように配慮した設計である。
↑ 2025年1月28日 タグボートの助けを借りてホワイトビーチの岸壁を離れるUSS アメリカ。1979年に私がタラワの入港を見た時には、3隻ものタグボートで作業していた。タグボートも写真を見ると1隻で作業しているように見えるが、White Bearさんによれば今でも3隻で運用しているそうだ。飛行甲板右舷前方には4機のMV-22オスプレイとCH-53Eが3機、中央にはMH-60が3機、後方甲板には、MV-22とCH-53E各1機、F-35B 3機の姿が見える。
ワスプ級強襲揚陸艦の後継艦として建造されたアメリカ級の1番艦アメリカは、現在長崎県佐世保港を母港としている揚陸艦で2014年の就役以降10年が経過したベテラン艦でもある。満載が45000tと言う巨艦であるが、航空機の運用に重点を置いた設計になっている。この艦が2025年1月末に沖縄県のホワイトビーチに入港して、再び出港との情報から、神戸市のWhite Bearさんが急遽ホワイトビーチに飛び、その姿を画像に収められたので、UPさせて頂きます。(2025年2月 記)