ボクの某国論

           其の十 性善説と性悪説


「性善説と性悪説」と聞けば 子供の頃の私は、聖書の片隅にでも書いてある欧米の思想・哲学を基にしている考え方だと誤解していた。なんと 某国の老子・旬子の唱えた考え方ではないか。しかも性善説とは「人間元々善が基本であり、人を信じるところから始めなさい」とあり、性悪説は「人の本性は悪であり、疑ってかかる方が無難」を通説と思い込んでいた。でもそうではないらしい。本来性善説は「人間は、生まれた時は善であるが、成長とともに悪を学ぶ」が正しいらしく、従って 性悪説は「人間生まれた時は悪であるが、成長とともに善を学ぶ」となるらしい。なるほど・・・どちらも正しいように思えるが、2000年以上も前からこのような説を唱え議論が行われた昔の某国は、やはり大したものである。

 僕の某国論的観点から言えば、某国人は従来の性悪説的理解「人の本性は悪であり、疑ってかかる方が無難」が社会の基本にあって、その考えをベースに制度が構築されていると思える。でも、正しい解釈とされる性善説=「人間は、生まれた時は善であるが、成長とともに悪を学ぶ」であれば、某国は性善説を基本に、社会が構築されているのである!と断言しちゃいましょう。

 此処で言う“悪”とは、人間の本性丸出し、欲丸出し、身勝手、道徳観念の欠如 理性の欠如 自己制御力の欠如などを指すものと思う。つまり 生まれたばかりの子供や幼児が 自分の本性をそのままに生きている状態である。しかし 成長とともに 自制心や徳を身につけ 人の為に生きることの喜びを感じるようになってしまえば即ち“善”に変化する。宗教を信じる過程もこの“善”への変化に大いに関連がある。

現代某国人ももちろんこの成長過程を通して“善”化する。(某国人にこの過程が無いなどと言う暴論を唱えるほど わたしも失礼ではない)。電車やバスの中での老人・妊婦に対する席の譲り合いなどは、日本以上に徹底して行われており見ていて気分が良い。

どの国にも善人もいれば悪人もおり その比率もそう大きくは変わらない。美人とそうでない人の比率もしかりである。例えば 世の中「美人でない普通顔の人」がいてくれるから「美人」が目立つだけで 美人ばかりだったら 美人の概念さえ崩れてくるだろう。善人・悪人も同じで 善人ばかりだったら 悪人の概念が変化し ちょっと間違ったことを行っただけで「あいつは、悪いやつ」と言うレッテルが張られるかもしれない。元々 人間というもの、心に善と悪が同居しているのであるから 一概に一本の線で区分け出来るものではない。 ところが 世の中うまく出来ているというか 必ずこの世の中には、自己制御力の弱い奴、道徳心の薄い奴、欲丸出しの奴が存在し 極端な行動をしてくれる。彼らが悪人の汚名を一手に引き受けてくれるから 反面教師として捉えながら自身自己の制御を行うと共に 我々自身は善人面ができるのである。

 つまり善も悪も、相対評価の中でどちらにでも成り得るのであるが、相手を善と評価する人が多いのか悪と評価する人が多いのかで、その社会の位置付けが大きく変わるような気がする。人間と言うもの 常に自分が一番かわいいものだから 自分は「善」のと位置付けて 他人を自分の基準を基に評価する場合がほとんどである。・・・極端なケースとして 自分以外の他人はすべて「悪」と見なす人もいて この場合独裁か孤立と言う道を辿ることになる。

まれに「私もワルですが、お代官様も相当な悪でございますなぁ・ヒヒヒ・・・」お互いの「悪」と認識している場合、仲間意識が芽生える。その場合、善人面している物を逆に敵視することも・・・・

 某国人が性善説を基礎に社会構築しているとしたのは、まず 家族や気の知れた友人以外の他人を信じない所から始まるからである。赤子(宝貝)は、無垢で社会の宝 他人の赤子でも子供なら悪とは見なさない。しかし 成長の過程で人間どんどん悪いことを覚えていく 自分がそうだったから人もそうだろう・・・何でも文化大革命のせいにしてはいけない、 もちろん極端な人間不信に拍車をかけたことは確かであろうが 本質的に元から性善説だったのではないだろうか 皇帝が変わるたびに根底から社会が変わっていくと 信じられるのは身内と友人だけになるのは当たり前かもしれない。

 では、某国社会では、どんなところに性善説を感じるか・・・すなわち実践編である。

スーパー(超市)でお買い物

 今はそうでもないが 以前は、人が店内に入ってきた場合 店員は、その人を客と見なさず賊ではないかと監視していた。店員から監視の視線を常に強く感じるのである。しかも店内には、監視カメラが山のようにつけられ死角が無い。買い物清算は、レジで行うが レジでもらったレシートはすぐ捨ててはならない。出口で買った品物との照合が有るので持っておくこと。レシート無くしたら ありゃ大変! お金払っていても店を出られない。録画で確認後か レシートをレジで再確認後に開放される。買い物用カーゴは、駐車場に回収係がいて 目を光らしている、持って行かれないようにである。実に気分の悪いショッピングであった。民営化と競争で最近は改善されている。


病院で治療

 怪我をして治療が必要なときでも まず健康保険に入っているかどうかの確認を取られる、入っていなければ多額の現金を所持しているかどうか確認を取れなければ その後何も一切が進まない。

 診察の順番を待つのに 整理券をお金を出して購入 子供病院はダフ屋防止の為 子供帯同でないと整理券も出ない。まず点滴が必要な緊急の場合でも 窓口に行って点滴液を現金で購入 物をもって医者の前に行き看護師が点滴を行う。入院や手術の場合 必ず事前に保証金を徴収し 取っぱぐれが無いようになっている。入院7日なら 10日分の入院代を先ずは先払い 退院時 残金返却で最終清算される。よって 緊急医療施設は、とりあえずの現金が無い人が通路・床のあちこちに・・銭の出所がはっきりしない人は、放置されたまま転がっているのである。「お金の無い人 お断りです!」・・・

遊園地で遊ぶ

 ボートに乗るにも 貸自転車に乗るにも 全部利用料の数倍の保証金を払わないと乗れません。利用料金1時間30元 保証金100元なんてざらです。ボートなんて持ち逃げする人いないだろうが 全てがそう言うシステムで運用されている。利用後保証金は戻ってくるが 多めに用意してないと何にも乗れないことになる。

ホテルに泊まる

 チェックインの際 2泊なら4泊分の保証金を払わないと止まれません。1500元(9600円)で2泊の場合 4万円近く持っていないとダメだということ。もちろんクレジットカードでも処理は可能。しかも チェックアウトの際 カウンターからフロア係に電話「○○号室 チェック願います」→「チェックOK 異常なし」それから 清算です。つまり 風呂の手ぬぐい 備品などを持ち帰っていないか 調べるわけ。ここまで用心深けりゃ完璧ね!

住宅の電気代を払う

 殆どプリペードカード式になっている。事前に指定の銀行に行って窓口でカードにお金を入れてマンションの電気の使用メーターに差し込みチャージする。電気代が切れたら、一斉に部屋中の電気が切れる。深夜にこれが発生すると悲しい・・・寒いのにチャージに出かけなければいけない。電気会社は、絶対に取りっぱぐれなし、完璧!!。ガス代 自来水代(水道水) 中水代(トイレ再利用水)が分れている場合が多い。銭切れで、突然ウンチが流れなくなったらとっても悲しい・・・.

こんな具合で 食べ放題レストラン、各種学校の授業料なども全て前払いです。日本の様に一度後払いでやってみたら取りっぱぐれが多ったので 前払いに改善されたのではなく 最初から前払いでないと確実に取れない事を確信して 最初から前納制度構築している。「サービスを提供すれば きちんと払ってくれるだろう」などと言う甘い考えは元から無いのである。

学校給食費を収めない裕福な家庭が問題になったり、社会の中に払わない事での不平等が生じている我が国・・・この性善説に基づいた某国の社会制度は、日本も学習すべき点が多いかもしれない。

2015年10月15日 記)

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