複雑なデザインであるが、機首には部隊のインシグニアが書かれておりデモのため編隊離陸する様子を捉えたもの。写真では判り難いが明らかに一般人と見られる観客が背景に大勢写っており、ランウェイサイドから順光で撮れそうである。但しカメラの持込が可能かは不明。
なかなか見事に決まった写真である!!2機の間隔は狭く かなりレベルを上げて来ているようである。このチーム何と将来は世界的な航空ショーへの参加を計画しており、2008年のオリンピックで大々的なデビューを図る予定であった。国内の航空ショーだけでは所詮「井の中の蛙」である事が彼らにも判っているらしい。(2003年11月記)123
「八一」飛行表演隊
1997年10月10日 天津にてデビューしたJ-7EBの新塗装。12月24日に12機全機が揃い、 新編成・新プログラムで演技を開始したとされる。尾翼の空軍徽は当初は機番であったらしい。
↓ さて 次に台湾の友人 Steven Weng氏が 2004年にズーハイで撮影して送ってくれたJ-7EB、長い間UPできずに パソコンにしまっておいたが 漸くページに飾らせていただくと事する。Many  Thanks To Mr, Steven Weng !!!
2003年10月28日12時30分北京市南の北京南苑空軍基地で行われたアクロバット飛行の公開を告げる「Beijing Morning Post」紙の一面記事に掲載された「八一」表演隊の当日の模様。1962年に創設されたこの部隊は今年で305回のデモ飛行を成功させたとある。6名のパイロットの内、飛行隊長は李秋という人物らしい。現在のブルーを基調とした3色のチームカラーに変更されたのは1998年。来年から全国でのデモフライトツアーに入るらしく、2004年は5都市を廻るらしい。秘密のベールに隠された続けてきた中国空軍も先ずはこのチームから一般公開を促進するようだ。今回も今までは考えられなかった基地への一般人の入場を認めたらしく、某国空軍が少しずつ自信を付けてきた証拠であろう。今まで隠し続けて来た理由は老朽化とその脆弱性を諸外国に悟られたくなかった為だろうと想像するからである。但し、空軍基地で公開した今回も事前の告知は一切なく、またウィークディーでの開催である。まだまだOpenとは言えないが、何かが動き出している。(2003年11月記)
「八一」隊のウォークダウンと思われるが、ヘルメットを被ったままでの行進は、航空祭発展途上国(失礼)でよく見られる飛行員である事を強調する為のデモ。先頭が多分飛行隊長の李秋であろう。
2001年7月にマーキングを全面的に変更 ブルー系統の塗装は、猛禽をイメージしているようだ。
さて、イラストも含めチャイナ・ネットから資料を頂いてページをスタートさせた。某国には私のこのホームページから相当な写真を流用されたので、某国に関しては同様な方法で私も対処する事にしている。これは公平な対応で正に某国流である。そうは言ってもパクリ写真ばかりでは、何の為のホームページから判らないので先ずは私の作品から並べてみましょう。
以上7機しか撮っていないが、降り・上がり・タキシング等を其々並べてみる事とした。機首に書かれている意味不明の赤い2本線は、警空2000との編隊を組む上での目印とするもので、正規のアクロバットチームがこんな標識を必要とするのか?甚だ疑問であった。2009年8月撮影
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私はこのチームのデモフライトの写真を撮った事がないのである。最初にデモフライトを目にしたのは確か2003年の夏だったと思う。天津市街からの仕事の帰り、車の上空でジェット音が響いたので窓を開けて空を見たところ、戦闘機が何とオリンピックの五輪を上空に描いているではないか!5年先の2008北京オリンピックの訓練だったのだろう。こんな天津市街に近い場所で訓練しているのか・・・等と思っていた。車を止めて外に出て暫く彼らのフライトに見入っていたが、演技を終えるとその戦闘機は何と我々の方向に降りてくるではないか、我々のいた道路のすぐ横に軍用基地があったのだ。その後も天津に仕事で向かう途中、何度か高速道路で彼らの演技を何度か見る事があったが、カメラを持っておらず撮影ができなかった。デモフライトしている姿を撮っておきたかった。J-10に機種変更になって以後も機体は何度も撮っているが、演技を撮った事が無いのである。其の内何とかチャンスが来るでしょう・・・・(2012年8月記)