CAG (1997)
(1997)
(1997)
CAG (1994)
CVW-5
35年前 2010年のCVW-5の編成など想像もしていなかったが VAW-115がホークアイを使っている以外は、ホーネット族でほど甲板は占拠されることになる。VAQも間も無くEA-18Gに変わる予定で、1976年時代は6種類もあった機種が3種類に統一されるわけだ。当面 CVW-5には、今の所F-35の配備予定が無いのでスーパーホーネットだらけということになる。(2010年 記)
雨の中 初めて厚木基地に行った時の写真、何処から撮れば良いのかわからず マンションの階段から小雨の中を望遠で証拠写真的に撮ったF-4Nファントム群。バイセンカラー(建国200周年特別塗装)のNF-201がいた。(1976)
アメリカ海軍の航空母艦に搭載されている航空機は、戦闘機から攻撃機、偵察機、早期警戒機、対潜哨戒機、救難連絡など多くの機種が含まれるが これらの飛行機を束ねる各飛行隊は、空母が母港に係留されている期間は、それぞれ母港に近い海軍航空基地をマザーベースとして訓練や休暇を過ごす。アメリカ海軍にとって唯一海外に航空母艦の母港を置くのが、横須賀基地であり、航空母艦の艦載機は今は岩国基地に移動したが、長い間厚木航空基地をマザーベースとしていた。彼らが空母に搭載され出航した際は、一つの航空団指揮下に纏められ”空母航空団”(CVW)単位で作戦を遂行するわけである。

空母にそれぞれ艦番号が、CV-41〜CVN-74など付けられているのと同様、空母航空団(CVW)にも、CVW-1〜CVW-17等のナンバーが与えられ、搭載された夫々の航空団に所属する各飛行隊は、空母航空団(CVW)毎に異なるテールレターを尾翼に書き込む。CVW-5の場合”NF”と書かれている。

アメリカ海軍の空母の数によって過去 航空団の数も変化してきたが 戦後の一時期を除き 最も作戦用空母が多かったレーガン政権時代は、CVWの数は13個にも及んだ。2007年時点は10個の空母航空団(CVW)を維持しており、大西洋方面5個 太平洋方面5個の航空団がある。その中で横須賀を母港としてきたアメリカ海軍の航空母艦(ミッドウェイ、インディペンデンス、キティホーク、ジョージ・ワシントン そして現在はロナルド・レーガン)は、搭載空母航空団を”CVW-5”と定めてきた。アメリカ海軍が米本土以外で唯一展開する空母航空団である。航空団本部要員50名を含めCVW-5は、約2500人の陣容を持つ戦闘集団なのである。
何の情報も無く行った厚木基地であったが、うろついた揚句、最後にお墓がある基地内が見える空き地へ到着。以後長い間、この空き地が私の撮影のポイントとなる。

上写真は、最近航空専門誌でも取り上げられた2001年当時の第5空母航空団司令(CAG)のガルピン大佐、ロバート・レッドフォード張りのハンサムコマンダーであるが、この方あまり正装してのお堅いセレモニーやスピーチがお好きではないそうである。トムキャットでの3000飛行時間達成おめでとうございます。( )は、撮影年。彼は映画「トップガン」の撮影指導にも協力している。
2001年当時の副指令"DCAG"パトリック・ドリスコル大佐は、1999年〜2000年まで BlueAngelsのフライトリーダーだった。偶々NAS OCEANAで、彼がリーダーを務めるBlueAngelsの演技を見ることができたのは幸運だった。彼がCAGであった2003年9月VF-154のF-14が厚木を去った。彼は2003年12月5日までCAGを務めた。
軍用機の写真を撮り始めたばかりの頃であったから、見るもの全てが新鮮で感動的であった。上記表内ナンバー以外にも予備機もいたので本来の定数を超えると思われるナンバー機NF-217(152253)なんていうのも存在したが、厚木の常連の人にもいろいろ基礎知識を教えていただきながら、所属する機体番号を揃えよう等と考えたのが、この世界にはまり込んだきっかけとなった。
当時横田基地や自衛隊の基地にも通ったが、私にとってCVW−5のいた厚木基地こそが写真撮影のマザーベースで、全ての出発点だった。あれから部隊も変わり人も変わり、また自分自身も変わった。学生時代と違いサラリーマンになってしまえば時間に限りがある。航空祭以外に写真を撮りに行く機会も少ないので、自分なりに写真のテーマをいくつか持とうと思い、機会があれば機体といっしょにクルーの写真を撮るようにしてきた。このHPでは、軍用機とこれらを操るクルー達の写真を中心に紹介したい。
 本来HPの最初のページに書くことであろうが、自分のスタート地点であるこのページに書かせていただいたものである。
では、CVW−5のCAG(空母航空団司令)始め関係者のポートレートからご紹介しましょう・・・・・
CAG (1989)
(1991)
(1988)
1989年の第5空母航空団司令”CAG”ディーブ・キャロル大佐は、1982年〜1983年の間 BlueAngelsの18代目のフライトリーダーだった。
CAG (2001)
DCAG(2001)
CAG (2007)
DCAG (2007)
DCAG (2010)
VFA-102 Diamond Backs FA-18F NF-100〜 NF-112
VFA-27 Royal Maces FA-18E NF-200 〜NF-212
VFA-115 Eagles R FA-18E NF-300〜NF-312
VFA-195 Dambusters FA-18C NF-400 〜NF-412
VAQ-136 Gauntlets EA-6B NF-500 〜NF505
VAW-115 Liiberty Bell E-2C NF-600〜 NF-604
HC-14 Chargers SH-60F NF-610〜
CVW-5 in 2010
VFA-102 Diamond Backs FA-18F NF-100〜 NF-114
VFA-27 Royal Maces FA-18E NF-200 〜NF-215
VFA-115 Eagles R FA-18E NF-300〜NF-312
VFA-195 Dambusters FA-18C NF-400 〜NF-412
VAQ-141 Shadowhawks EA-18G NF-500 〜NF506
VAW-125 Tigertails E-2D NF-600〜 NF-604
HSC-12 Golden Falcons MH-60S NF-610〜NF622
HSM-77 Saberhawks MH-60R NF-701〜NF707

2017年4月29日 快晴のこの日 厚木基地では、恒例のオープンハウスが開催された。2010年以来7年ぶりに私の帰国休暇と厚木のオープンハウスとのタイミングが合い、私も参加することが叶ったが、今年が厚木基地最後のCVW-5 各飛行隊揃い踏みの航空祭となる。其の為GWとも重なり、例年より多くのNAVYファンが押し寄せたはずである。CVW-5の面々は、暑い中 サービス精神いっぱいに来客の相手をしていた。今年7月ぐらいから、一部飛行隊から岩国基地への移転作業が始まる。CVW-5には、E-2Dも配備され VAW-115と交代であるが この日厚木には、2つの飛行隊がブースを並べていた。。岩国に移転した後の彼らの編制は、下のような部隊構成となる。長い間 CVW-5のページを更新していなかったが 今回得た写真でアップデートできそうである。(2017-4-29記)

1973年10月にUSSミッドウェー(CV-41)が横須賀港を母港として以来、厚木基地をベースとして活動してきたため 我々航空機マニアにとって最も馴染みの深い海軍空母航空団も第5空母航空団「CVW-5」である。1991年にミッドウェーが退役しUSSインディペンデンス(CV-62)に代わり 1998年8月にUSSキティーホーク(CV-64)に その後USS ジョージ・ワシントン、ロナルド・レーガンに変わるなど搭載される母艦が変わっても 航空団は、CVW-5のままであり続け半世紀に届こうとしている。 ”NF”のテールレターは、すでに私のライフワークとなった軍用機撮影と切り離すことができない存在である。
 私が本格的に写真を撮り始めたのは1976年からであるが、その当時のCVW-5の編成は下記の通りであった。

↑ 2023年4月 岩国基地内で見かけたCVW-5のオフィス。

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(2001)
(2006)
CAG (2017)
DCAG (2017)
CVW-5 in 2017
CVW-5 in 1976
VF-161 Chargers F-4N NF-100〜 NF-115
VF-151 Vigilantes F-4N NF-200 〜NF-215
VA-93 Blue Blazers → Ravens R A-7A NF-300〜NF-315
VA-56 Champions A-7A NF-400 〜NF-415
VA-115 Arabs  → Eagles K/A-6A NF-500 〜NF515 NF-520〜 NF-523
VAW-115 Liiberty Bell E-2B NF-600〜 NF-604
HC-1 Pacific Fleet Angels SH-3G NF-720 〜NF-725
VMFP-3,Det Eyes of the Corps RF-4B RF-611〜 RF-613 (岩国駐留)