A-4Mが日本から姿を消した後、しばらくスカイホークの最後のタイプとして岩国に駐留して目を楽しませてくれたのが、このOA-4Mである。セスナやその他レシプロの偵察機より足が速いと言う以外にこれと言った特徴はないが,TA-4Fからの改造のため複座であることは、前線における航空偵察・管制を行う上でも利点であったはず。ロービジ全盛期の機体であるた為、WAのレターとロービジで書かれたアウトローの漫画ぐらいしか書かれていないが、軽快なスカイホーク戦闘機の飛行姿を最後まで楽しめた有難い存在だった。
↑ 松野氏が岩国基地で撮影されたOA-4M WA-1/152874
↑横田基地航空祭に展示されたOA-4M WA-1/152874
H&MS-12
↑ 1987年小松基地航空祭で展示されたOA-4M / WA-07 /Bu.No.154651
↑ フニュ君撮影のFA-18C。VMFA(AW)-242の所属ながらH&MS-12の懐かしい”WA”レターを書き込み回顧趣味的なマーキングを施されたFA-18D。
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↑ 1984年厚木基地に着陸するOA-4M WA-02/154333
↑ 松野氏撮影による1989年岩国基地祭におけるOA-4M WA-06/154645 。胴体後部に新たなマスコット武者兜を付けたブルドック君。
最前線で活躍する海兵隊には攻撃部隊だけでなく、戦場偵察、観測、現場での指揮・管制を行う部隊が必要で、岩国のMAG-12には、前線航空管制(FAC)を行う部隊として第12司令部飛行隊(H&MS-12)が存在していた。前線でより使いやすいFAC任務用の機体を欲していた海兵隊は、従来のTA-4Fを改造して継続して使う事を決定。1978年からNASペンサコーラの海軍修理廠でTA-4Fの改造が行われ,、TA-4Fのアビオニクスと武装をA-4M並に施したOA-4Mが23機誕生した。1981年に岩国のH&MS-12にも10機程配備される。時代は、低視認性のマーキング(ロービジ)の全盛期であり、OA-4Mもグレーの濃淡のみで塗装された淋しいお姿であったが、最後のスカイホークの雄姿を見られるという事で、どの基地でもOA-4Mは歓迎された。
↑ 松野氏が岩国基地で撮影したOA-4M WA-2/154333
↑ 1986年岩国基地公開で展示されたOA-4M WA-03/154340
↑ 1984年厚木基地で撮影したOA-4M WA-00/152856。元H&MS-32で使われていた機体である。
OA-4M
↑ 1985年横田基地航空祭に展示されたOA-4M WA-01
↑ 1985年厚木基地R/W01に着陸するOA-4M WA-06 /154645
Wings