HMH-465
YJ-17 (164779) in 1995

上の厚木で撮影した写真の時から約24年の月日が経過して,まさか此処でこの部隊と再び会えるとは思わなかった。2019年11月ネリス空軍基地で海兵隊を代表して 車両のリフトなどでショーを盛り上げたHMH-465のCH-53Eである。

CH-53E

ネバダの砂漠を低空で飛ぶCH-53Eは、迫力満点である。ハンビーをリフトアップする場所では、砂煙が這い上がり ダウンウォッシュの強さが遠くからでも見て取れた。

(1995)

2021年12月9日早朝厚木基地を離陸するCH-53E。尾翼には、”YJ”のレターが記入されているが、HMH-466の表記ではなく”HMH-USA”と書かれており、所属は、不明。4機飛来したCH-53Eは、コールサイン”ウルフパック”を使っておりHMH-466の可能性もあるが、尾翼のレターから少なくとも、HMH-465に所属していたか、いるか、いずれかであろうから、このページに掲載することとした。Bu.No.164539

(1995)
(1995)
HMH-465(戦馬)は、1981年12月にアメリカ西海岸の最初のCH-53Eスーパースタリオン部隊として誕生している。1990年9月から 翌1991年の半ばまで、砂漠の盾、砂漠の嵐作戦に参加 サウジアラビアのベースで 多国籍軍の支援に当たっている。湾岸戦争中 この大型ヘリは、F-4ファントムをも軽々と吊り上げるその大きなリフト能力を買われ活躍したが、唯一の悩みは大きなローターで舞い上がるすざましい砂であったと言われている。湾岸戦争後 一度本国に戻った後 1991年10月、5機のC-5Aと2機のC-141に 機材と人員を乗せて沖縄の普天間基地に派遣され、翌年6月まで沖縄駐留をしていた。この部隊 MAG-16に所属し MCASタスティンを拠点にしているが,沖縄にも何度か派遣され、時々お目にかかることができる。 
彼らは、ネリスAFBのエプロンから飛び立つのではなく 比較的ネリスに近いインディアン・スプリングスにあるクリーチ空軍基地から飛来していた。クリーチには予備も含めエプロンに3機のCH-53Eがいたが、YH-076は調子が良かったらしく3日連続演技を消化した。
Wings
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