翌1978年3月に再び嘉手納基地を訪問した私、昨年の嘉手納行での写真で、友人との撮影技術の差と使用フィルムの質の差で、まだまだ自分の未熟さを思い知った私は、フィルム現像を自前でできるようにして、フィルムも当時厚木のマニア諸氏が常用していた微粒子のKodak社Plus-Xに変えて、少しずつ改善を図った。1978年春の嘉手納行では今までの反省をベースに、ここハンビーでもリベンジを掛けて撮影に臨んだ。曇り空のある日、バスを途中下車して一人でハンビー飛行場の脇に腰を下ろした私、きっと1日粘れば良いカットが得られるだろうと目論み、エプロンを覗き込める土手でぼっとしていると、嘉手納のほうへ見慣れぬ機体が降りていくのが見えた。・・・・・・!!!・・RB-57!!バーモント州空軍のやつだ・・何という皮肉か・・ハンビーにこだわってど珍機を取り逃がすとは。世の中いつもこう言うモノである。
気持ちを入れ替えてハンビーで大好きなAH-1J、UH-1Nを撮り、「このカットは、今ここでしか撮れないんだ!!」と自分を納得させて嘉手納基地に移動した。この時、ハンビーに常駐していた部隊がHMLA-367であった。
AH-1J VT-28/Bu.No.157781
AH-1J VT-26/Bu.No.157773
↑1978年には、前年と異なり殆どの機体が、機番や海兵隊ロゴを黒色に変更して、ロービジ化を進めていた。VT-28は珍しく白文字がまだ残っていた機体だ。
AH-1J VT-31/Bu.No.157783
↑ ハンビー飛行場での飛行訓練では、武装を一切付けないクリーンな状態で、繰り返しのホバリング飛行、空中での回転運動、接地訓練が繰り返された。部隊としてJ型を取得して1年余り、まだまだ習熟訓練が必要であった。
AH-1J VT-20/Bu.No.157757
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↑ ハンビー飛行場でホバリングから地上すれすれでの飛行訓練を行うAH-1J/VT-26。機首の注意書は英語と漢字表記が併記されていて、海兵隊らしい・・・ヘルメットは個人で好みのデザインが出来たようで、髑髏マークを付けたヘルメットも散見された。
↑ J型は、本格的な海兵隊仕様の攻撃ヘリであった。この後W型⇒Z型と発展して行くが、機首から胴体中央部まで流れるような流線型をもつ、最も美しいフォルムを持っていたこう攻撃ヘリだったと私は思う。
犯人は、真ん中のひげの男である。私が撮影をしている中、クルーたちはエプロンのごみ掃除のため、一列で画面左手から歩き始めた。その中で「この髭」君一人が私に気づき、盛んに「自分を撮れと」とサインを送ってくる。こちらも「じゃ!撮ってあげよう」なんてサインを返していたら、全員がこちらに注意を向けポーズの嵐となった。「おいおい・・エプロンの方の掃除はどうなっちゃたの??」もうそんなことそっちのけである。結局 ここでエプロンの掃除はバラバラ解散となってしまった。やっぱ、犯人は髭である!
RB-57のショックから冷めやらぬ私は、この髭とRB-57を天秤にかけていた。あ~ぁ・・・・・