↑ 同じく 1984年11月 厚木基地に着陸するCH-46F HMM-161”YR-032"Bu.No.153391。この機体は、1967年に同部隊に配属されているのが確認されているが、その後多くの海兵隊、海軍のヘリ部隊を転々として動いていたようである。面白いのは、機首のコックピット脇に白色で十字架を描いている。
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1951年1月にエルトロ海兵隊基地で生まれた輸送ヘリ部隊で創設時”HMR-161"のナンバーを与えられた。この部隊に集められたパイロットの多くが第二次大戦中戦闘機パイロットだったと言う逸話があるらしいが、朝鮮戦争に駆り出され 1951年9月朝鮮の釜山から日本間の人員輸送を最初にやり遂げた海兵隊ヘリ部隊として記録されている。その後1953年から1955年まで 朝鮮半島の非武装地帯付近で活動しハワイのカネオヘに戻って1963年にHMM-161という部隊名に変わっている。

 ベトナム戦争の悪化に伴い1965年3月沖縄の普天間経由で5月南ベトナムのチュンライに到着し 第一海兵航空団の指揮の元で主にフバイ基地をベースに作戦に従事し、1966年それまで使っていたUH-34Dから、一度沖縄へ移動して普天間でCH-46シーナイツを受領して機種更新を終えた後、再びベトナムに赴いている。1990年には湾岸戦争勃発でサウジアラビアに展開、戦後はイラクのサザンウォッチ作戦をこなして本国に戻り、1999年拠点をMCASミラマーに移している。部隊創設以来アメリカが参戦した大きな戦争にはほとんど出ており、モットーは、”The First,The Best"である。現在は、オスプレーの部隊としてVMM-161に変更され、ミラマーを拠点に活動している。
↑ 1978年嘉手納上空を飛行するHMM-161のCH-46D/Bu.No.154030。テールレターがないが、胴体に部隊名が記入されてる。
↑ これも1984年11月で厚木上空を飛行するHMM-161のCH-46D ”YR-031" Bu.No.153389。本来あるべき標識を比較的まともに書き込んでおり マニア側からすれば判別の付きやすい機体である。この機体は、引退後 アメリカのノースカロライナ州 カロリナス航空博物館に展示保管されている。
Wings
↑ 1984年11月 厚木基地で飛行訓練をするHMM-161のCH-46D。この時期の海兵隊のヘリは、ダークグリーンに黒文字で標識等を書き込む程度で 前線での戦闘を想定して、国籍や所属部隊が極めて読み取りにくいスキームであった。黒文字で書かれたものから判読できるのは、HMM-161を示す”YR"のテールレターとBu.No.157663のビューアルナンバーだけである。この機体は後にE型に改造されHMM-265の所属にもなっている。