1977年初めて沖縄を訪れた時だった。空港からタクシーで市内のホテルに向かう途中、最初に視野に飛び込んできたのは左手に見えた那覇港であった。周囲を高いフェンスで囲んだ港には本土では見慣れない米軍の迷彩車両が並んでいた。当時の沖縄は返還後間もない頃で 那覇港付近もまだまだ多くの米軍車両が岸壁を占拠し、港も積み出しの軍事物資に溢れまさに軍港の様相を呈していた。その時、我々は那覇港の岸壁に多数のヘリが駐機されているが目に入った。しかもエンジンをかけ、離陸の準備に入っている・・・私と友人は沖縄で最初の獲物をこれに決め、タクシーを降りて撮影ポイントを探すことにした。しかし、フェンスのかなり向こうであり、軍事エリアで立ち入りは不能、どうしても良いポイントが見つからない。その内、CH-46D 6機とCH-53D 3機はすべてローターの回転を上げ、正に離陸直前の状態を呈していた。我々はもう一本先の埠頭に民間の施設らしき建物を発見して、タクシーをそこへ向かわせた。もう5分遅ければ1機も撮れずに見送る事になっただろうが、何とか証拠写真程度のものは得ることが出来た。そのヘリ部隊は、後方のローター下に白いナイトの頭を描いており、HMM-165”White
Nights"という飛行隊だった。この部隊翌年にも嘉手納で撮影が出来たが、その時にはマーキングを新しいものに変えており、白い騎士の絵柄が撮れたのは最初で最後となった。(2003/10 記)
1978年再びHMM-165のCH-46Dに 嘉手納で出会った。感激はひとしおであったが、白い騎士はカーキ色の兜と衣装を纏ったマークに変更されていた。
キャンプ・富士にこの部隊が演習に来ていると聞いて、友人と車を飛ばし撮影に行った。この時撮れたのは このCH-46D/YW-6とCH-53Dの2機のみだったが、ここでしか撮れないシーンに感動でカメラを落として壊してしまったオマケまで付いた。
↑ 1978年厚木に着陸するHMM-165のCH-46D/YW-12/Bu.No.153365
HMM-164に一年遅れ、1965年にMAG-36の傘下、同じサンターナで誕生した飛行隊である。1966年から早速南ベトナムに派遣され、ベトナム戦争の写真集には時々このナイトのマークをつけたCH-46Dの写真を見かける。1966年〜1969年の間、ベトナム戦を戦っており1970年にはベトナムからの撤収任務をサポートしている。
那覇港軍脇のスペースで、正に離陸をしようとローターフル回転のCH-46D。この後ろには、CH-53D 3機も含め10機近いのヘリが一斉にエンジンを回転させていたので、すごい爆音協奏曲となっていた。
1978年に再びキャンプ富士で再会したHMM-165のCH-46D/YW-13/Bu.No.153363、ロービジビリティの波にもまれる海兵隊の中でも 前部と後部エンジンカバーに書かれたインシグニアだけは、カラーで残されていた。このマークをハワイの大王”カメハメハ”と言う説もあるが、どうだろうか?
機体のマーキングが全てHMM-165仕様になっている為、原隊は不明であるが、HMM-165(Rein)のCH-53Dである。これが撮れた時は、相当な興奮をしたと記憶している。大きなローターが巻き起こす風力は凄く、すぐ手前でシャッターを切っていた我々は身体を風に持っていられないように堪えるのが精一杯であったのだ。