6th Squadron
Pege-1
九州の防人飛行隊の一つ第6飛行隊が、F-1の導入準備に入ったのは1980年の春先からで、約1年をかけてF-86Fから機種転換を行った。1981年2月にはF-1が18機が揃って本格的な運用開始した。これでF-1の3個飛行隊が揃ったのであるが、1981年末まで既にF-1戦闘機59機の防衛庁納入が終わっており、F-1の3個飛行隊の定数18X3=54機を満たしていた事を考えると、各飛行隊が予備機を持てる状態にまでなっていたのである。何と初納入から5年で3個飛行隊が運用できる程、速いスピードで装備化が進んだわけである。ところで当時の近隣諸国の情勢は、中国は文化大革命が終わって5年経過した状況で、国はダメージから抜け切れておらず改革開放に移行中、日中関係も改善に向かっていた時期であるが、中国海軍と言えば沿岸を守る小型の艦艇しか保有しておらず、東シナ海もその上空にもこれと言った緊張感は無かった。当時の最大の脅威はやはりソ連で、我国の領土である北方4島に、Mig-23を配備したり、太平洋艦隊の増強も脅威となっていたのである。築城基地の部隊は、度々対馬付近を通過するソ連のバジャー爆撃機/偵察機の編隊に対しスクランブル対応等が忙しかった時期に当たる。[2024年2月 記)
↑ 1981年当時の第6飛行隊F-1の写真は、九州出身の松野氏の作品をご覧いただきたい。上3枚の写真は1981年1月6日に築城基地で撮影されたもので、天気も良いし、背景に余計なものが入らない当時の築城基地での写真は実に自然豊かな雰囲気である。別のページでも書いたが、私はこの時期社命で台湾に派遣されており、航空自衛隊機の写真を撮るチャンスが限られていた。また、仮に国内居たとしても、中々九州まで足を延ばすのは難しかっただろう。私が本格的に九州の基地に行き始めたのは1987年以降である。
↑ 1981年8月に築城基地の撮影の名所”堤防のポイント”で撮影されたF-1。私も後に此処を訪れる事になるが、実に風景も良いし、目の前のタキシング姿が絵になる場所である。第6飛行隊のF-1は、2月に飛行隊定数が揃って部隊として正式に運用が開始いるので、1977年から配備された第304飛行隊のF-4EJ部隊と共に、毎日の飛行スケジュールも多忙だったはずである。写真の203号機は1978年時点で第3飛行隊所属だったが、8sq移動してきていた。
↑ 上2枚のスライド写真も1981年1月6日の撮影で、セピア色に染まったタキシーウェイ横の草原が、九州と言えど1月の寒さを連想させる。
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