↑ 1993年の霞ヶ浦分校に展示された同校所属のCH-47J/52913 13号機
CH-47J/52913
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CH-47J/52918
陸自の戦略空輸部門の主力を担っている木更津の第一ヘリコプター団は、V-107輸送ヘリ時代は同機の集中配備を受けており殆どの機材が木更津駐屯地に集まっていた。1985年時点での第1ヘリ団の勢力はKV-107バートル輸送機40機/LR-1
連絡機3機/OH-1偵察機 1機、総人員600名の大部隊であった。しかし、以前よりKV-107の後継機問題、そしてKV-107の輸送能力に不足感が否めなくなってきた事で、新機種の検討が進められていた。
大型のCH-47Dの導入は検討の結果、56中業(昭和56年中期業務計画)で決まった。この防衛庁(当時)の中期業務見積りとは、それまで5年毎の防衛計画を見直し、3年程度の中期で防衛整備計画を細かく見直していこうと言うもので、51中業/53中業に続いて、昭和56年(1981年)に作成承認されたものであった。この中期計画の中にCH-47が17機計画されていたはずである。そして最初の2機が昭和59年(1984年)度予算、次の3機が昭和60年(1985年)度予算で要求されていた。1985年4月にはCH-47Jの陸自1号機/52901がアメリカから岐阜県の川崎重工の工場へフェリーされてきている。最初の2機はアメリカの工場で生産されフェリー当時はグリーンエアクラフト状態で川崎重工に納入、ここで電子機器を付け迷彩塗装をして仕上げていた。3号機以降は川崎重工岐阜工場でノックダウン方式で生産され、後に完全国産方式に切り替えられた。
1st Helicopter Brigade
↑ 1992年4月の北宇都宮駐屯地の公開時のもので、恐らく私が初めて身近でCH-47Jの写真を撮った日かもしれない。陸自に初号が配備された1987年11月から年間5~6機のペースで納入が進んでいたはずだが、この頃私は島根県松江に赴任しており、関東地区に戻れたのは1990年以降だったので、CH-47Jを見る機会も少なかった。初配備から4~5年経過しているので、陸自も機体の運用に成熟してきた時期であろう。↑ SKのマークの入った13号機
CH-47J/52913
↑ 上の2枚は何れも木更津駐屯地でのCH-47Jで、既に後部のローターの下には第一ヘリコプター団第一ヘリコプター隊の部隊マークと思われるものが黒で記入されている。この時代の迷彩服が懐かしい。
CH-47J/52920
↑ この頃撮影に主力として使っていたコダック社のテクニカルPAN-X フィルムで撮影したものであるが、フィルムの性格上濃淡のコントラストが強すぎてこのような暗い迷彩の機体は暗い部分が飛んでしまう。3機飛来していたと思うが、13号機以外第一ヘリ団第一ヘリコプター隊所属だった。
↑ 霞ヶ浦分校でデモフライトするCH-47J/52906/6号機。機首の下についているのはミラーで、パイロット席から胴体下方の作業の様子が見えるようになっていた。人員のリぺリングや車両の吊上げ時には付ける事が多い。航空自衛隊もほぼ同型のCH-47を並行して導入しているが、内部の電子機器等が陸自と空自では異なるらしい。
CH-47J/52906
↑ 1989年東富士演習場総火演で訓練展示する明野航空学校飛行教導隊のCH-47Jの1号機/52901。当HPでは写真を出来るだけ時系列に展示するようにしているが、松野主税氏が撮影されたこの1号機の写真は一番撮影年代が早かったのである。この機体1986年11月25日に航空自衛た向けCH-47J(67-4471)と同時に防衛庁に納入されており、まだ明野で運用試験を行って機体の様々な運用データや指導教官の育成に励んでいる時代のものである。
CH-47J/52904
↑ この写真も1989年に松野主税氏が北宇都宮駐屯地で撮影されたものである。新鋭機は最初明野の航空学校や霞ヶ浦分校へ優先配備されるが、本機も1985年度予算で発注された機体で、川崎重工岐阜工場でノックダウン生産された初期の機体である。CH-47J
陸上自衛隊向け4号機。
CH-47J/52913