第1ヘリ団で最初のマークとも言える"1H1F"の黒色スプレーによるマークが入っている。
CH-47J/92924
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CH-47J/92903
↑ 地上戦闘展示で負傷者の搬送を展示訓練で見せたCH-47J。2機が赤十字のマークを付けていた。
わが国最大のヘリコプター部隊である千葉県木更津市の第一ヘリコプター団には、新鋭のCH-47Jの配備が進み、1992年度末にはCH-47J 28機、KV-107
21機合計49機の勢力となっていた。当時の同部隊の組織構成は、団傘下に2つの飛行隊を設け、其々の飛行隊にCH-47J/KV-107/OH-6の3種のヘリを運用していたが、1個飛行隊が20機以上のCH-47/KV-107を運用するわけであるから、飛行隊長の負担が重くなるため、本部管理の機体を除き更に分隊化させて8機程度を1つの単位として動かせるようにしていたようである。これが将来的には103~106飛行隊に別れるわけであるが、当時は運用上分隊を胴体に書かれたラインの色で分けていた。斜め1本線が第1飛行隊、其の線の色が白/黄で分隊を区別していた。(2026年6月 記)
Insignia of 1H1F
第一ヘリコプター団は、当時防衛庁長官直轄の部隊で陸上兵員の輸送/補給、航空偵察、災害派遣、VIP等の特別要人輸送など幅広い任務を持っていたので、OH-6/LR-1等の航空機も運用、CH-47Jは2個飛行隊で32機を定数として、1993年末の時点で所要機数をほぼ充足していた。KV-107バートルが人員20名/積載能力3tに対し、人員50名/積載能力10t以上と同じ機数でも部隊としては2倍以上の輸送力を得たことになる。
CH-47J/92934
CH-47J/92913
↑ 白い二本線は、第一ヘリコプター隊第二飛行隊(1H2F)である。
↑ 黄色い一本線は、第二ヘリコプター隊第一飛行隊(2H1F)である。
CH-47J/52919
CH-47J/52903
↑ 1993年の観閲飛行と体験搭乗を行うCH-47J/52907(手前)。何もマークが無い時代は、遠目でも白い線が第一ヘリ隊、黄色が第二ヘリ隊。一本線が第一飛行隊,二本線が第二飛行隊という識別をしていた。
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CH-47J/92923
↑ 1996年の木更津駐屯地でフライトする各隊のCH-47J。1996年にはKV-107は引退済で木更津の主役は36機のCH-47チヌークとなっていた。但し ソ連の解体を契機に世界中が軍縮に舵を取り始めており、自衛隊の予算も確保が難しくなってきた時期でもある。
CH-47J/52934
CH-47J/52915
CH-47J/52918/52922
CH-47J/52918
↑ 1996年の木更津航空祭では白黒フィルムでも撮影していた、時間軸が若干前後するが当日午前中は天気が良かったようで、午後から曇り空となった様である。
↑ 上の写真でお判りのようにCH-47J/92934,つまり34号機まで既に稼働しており、教育所要分を計算しても同ヘリ団にCH-47Jが大分充足している事が判る。このヘリの導入により、陸自主力の火砲であったFH-70
155mm榴弾砲や大型トラック、ホーク対空ミサイルの発射機まで輸送可能となったので、陸自は速やかな前線への移動配置が出来るようになった。
↑ 1996年(平成8年)の木更津駐屯地航空祭での地上の戦闘展示を終えて撤収準備中の第一空挺団の隊員、迷彩服は未だ旧型の迷彩1型を着用してる。恐らく北海道等の一部師団では迷彩2型に変っていたはずである。三脚の機関銃は銃身を外したM-2キャリバー50。第二次大戦から現在まで使われているブローニング社が開発した名機関銃で未だに信頼性が高い現役である。
CH-47J/92930
CH-47J/92906
↑ 1993年(平成5年)観閲飛行の為一斉に離陸する第一ヘリ団のヘリコプター群。冒頭にも書いた通り、1992年度末ではCH-47/KV-107の配備数比率が、イーブンからCH-47Jが比重が高くなっており、KV-107の引退には加速がかかっていた。
↑ 1993年10月の木更津駐屯地の観閲飛行で、CH-47Jに乗り込む、第一空挺団の隊員。当時の迷彩服は迷彩服1型で、熊笹の様な大きな葉を模した柄となっていた。1992年から迷彩2型に更新が始まっているが、まだこの精鋭部隊にも普及が始まっていない事が判る。彼らは観閲飛行前にCH-47Jに乗り込むが、彼らの乗ったCH-47Jは観閲飛行には加わらず、離陸後離れた区画で待機し観閲飛行が終わった後、地上戦闘の展示演習を展開する。