↑ CH-47Jから勢いよく飛び出してきたのは、当時陸自の主力軽車両であった所謂ジープである。戦後ウィルス社(現クライスラー社)から三菱自動車がライセンス生産の許可を得て長い間使われた車両で、様々なタイプが存在したが、写真の車両はJ23/24/25シリーズと思われる。本車両は400kg程度の積載量だったので、機関銃を付けている。但し106mm無反動砲/64式対戦車ミサイルなどを詰めるタイプも有った。
↑ フニュ師匠が1990年代後半に習志野演習場で撮影した第一ヘリコプター隊第一飛行隊(1H1F)のCH-47J/52904。順光の良い写真で1H1Fの新マークが良く判る。
CH-47J/52904
↑ 習志野演習場で2台のジープを牽引するCH-47J/52904 フニュ師匠撮影。
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1986年11月に1号機が防衛庁に納入されて以来、既に陸自には40機弱のCH-47Jが配備され、木更津の第一ヘリ団の4個飛行隊はほぼ定数を満たしていた時期である。2個ヘリコプター隊傘下の4個飛行隊はそれぞれの部隊マークを機体に描くようになって、撮影する側も興味が高まっていた。本項では初配備から13~14年経過した20世紀末に当たる時機の陸自CH-47Jを展示してみたい。
Insignia of 2H1F
↑ 1990年代後半に習志野の第一空挺団降下初めで、フニュ師匠が撮影したCH-47J/。天狗のシルエットを囲むヤツデの葉っぱは、ご存知”天狗の団扇”と言われるが、このヤツデの葉っぱの色も黄色の他、赤/紫色/緑色など何種類かが存在しており、どういう使い分けをしていたかは現在では不明である。
CH-47J/52909
↑ 1999年5月下総基地に飛来し展示された第一ヘリ団第一ヘリ隊第2飛行隊のCH-47J。このマークの機体が身近に撮れたのはこれが初めてだった。吾妻山の梟の詳細が判る。
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↑ 2000年に入り4月に下総の海上自衛隊基地祭に参加した第一ヘリコプター隊第一飛行隊(1H1F)所属のCH-47J/52918
CH-47J/52918
↑ 習志野演習場における第二ヘリコプター隊第1飛行隊(2H1F)のCH-47J ヤツデの葉っぱは白色である。
↑ フニュ師匠が海上自衛隊下総航空基地で撮影した第一ヘリコプター隊第1飛行隊(2H1F)のCH-47J/52925。ヤツデの葉っぱは青色で書かれている。
↑ 習志野演習場でフニュ師匠が撮影した第1ヘリコプター隊第1飛行隊(2H1F)のCH-47J/52910。52909と同じ黄色いヤツデの葉が書かれている。
↑ 1998年8月に開催された北富士演習場での総合火力演習で前線への迅速な人員移動を披露する第一ヘリ団のCH-47J。このシーンでは2機のカズサフライト(第二ヘリコプター隊第二飛行隊)が車両を運んでくる場面である。
CH-47J/52911/52931
↑ AH-1Sの護衛下、人員/車両展開を終えた後は迅速に後方へ離脱する。
↑ 次に赤城山の天狗マークを付けた第二ヘリコプター隊第一飛行隊のCH-47Jが、梯子を使った隊員の展開を支援する。最近ではほとんど見られなくなったが、こうしたアルミパイプ製の縄梯子を使っていた時代もあった。因みにこの年の総火演では未だ戦車は74式が主力で、新鋭の90式がデビュー間もない頃である。
↑ 1997年の木更津航空祭でも飛んだ赤城山天狗のCH-47J/52921。楓の色は紫色である。
CH-47J/52921
CH-47J/52908
↑ フニュ師匠が「習志野演習場降下始め」で撮影した第一ヘリコプター隊第一飛行隊(1H1F)のCH-47J/52908。
↑ 1997年9月21日 館山基地航空祭に展示されたCh-47J/52930。赤城の天狗であるが、ヤツデの葉っぱは赤色であった。どういう訳か・・・全体像を撮っていなかった。
↑ 同じくフニュ師匠が1990年代後半に習志野演習場で撮影した第一ヘリコプター隊第一飛行隊(1H1F)のCH-47J/52904。