↑ 2000年10月浜松基地に展示された明野航空学校のUH-1J/41826
↑ 2004年4月25日 松野主税氏が熊本高遊原分屯地で撮影されたUH-1J/41859。
ソ連崩壊で冷戦終了してから約10年になろうとしていた時期である。世界中が冷戦緩和から、軍事費削減に向かっており、日本も鄧小平が進めてきた改革開放路線の中国との融和を貿易拡大を図ろうとしていたし、1999年は日中友好30週年でもあり、中国軍の力もまだ弱く脅威にもなっていなかった。欧州先進国はEUで纏まり1999年には統一通貨ユーロがスタートしている。世の中平和ムードの中、日本も失われた20年と言う期間の真っただ中におり、軍事費削減まではいかなかったが、節約と効率を求められる時代だったのだ。
↑ UH-1Jの正式配備から8年が経過している為、方面隊に配備されたUH-1Jもかなり増えつつあった2001年、明野、宇都宮などの航空学校の教育課程ではこの新型多様機の転換訓練に忙しかったはずである。2001年5月の宇都宮分校でのUH-1J/41838 38号機
↑ 1999年館山基地に展示された東部方面ヘリコプター隊のUH-1J/41833。33号機/34号機と連番で立川駐屯地に配備されていた。
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↑ 宇都宮分校の航空祭に展示機として出されたUH-1J/41840 40号機。宇都宮の主力はもうすっかりJ型になっており、航空祭の目立はUH-60Jであった。
↑ 2007年9月 海上自衛隊八戸基地で撮影したUH-1J/41893。
↑ 2004年4月25日 松野主税氏が熊本高遊原分屯地で撮影されたUH-1J/41888。
↑ 2003年4月27日 松野主税氏が熊本高遊原分屯地で撮影されたUH-1J/41889。”WH”の表記の下には恐らく西部方面ヘリコプター隊のマークが貼られている。
↑ 教育課程で使われる機材の為、機材の識別を優先し、白色で機首には3桁の番号まで書かれていた。UH-1J/41830