VP-5
Naha base in OKINAWA
第5航空隊
青い海と珊瑚礁に囲まれた沖縄、この美しい島の最南端に那覇基地がある。1972年アメリカから返還を受ける前は、米軍の海軍航空部隊/空軍部隊も常駐していた。現在の那覇基地は、国際空港である那覇空港の拡張工事も進められ、返還当時と比べ様変わりしている。滑走路は3000メートル級で周辺設備も立派になったが、南国情緒豊かな基地の風景は今も同じである。海上自衛隊は、ここに第五航空群を置き、P-3C2個飛行隊を配備していた。この基地は、中東・東南アジア諸国海上輸送路の要であり、中国、台湾、韓国といった周辺諸国と海域を接している為、極めて重要な地域である。担当する海域も広大で、ロシアの脅威が薄れた現在日本にとって最も重要な区域になっていると思われる。ここに配備されたP-3Cの2飛行隊の内、このページでは第5航空隊を紹介したい。 
Wings
第5飛行隊は、1981年7月15日に設立された。当時は南西方面唯一の対潜哨戒部隊でP-2Jを装備していた。P-2Jの紺の尾翼に白く書かれていたペガサスは、P-3Cになってからは青で大書きされるようになり米海軍のマーキングにも負けない存在であった。
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(Tail Lineup)
Tail Making of VP-5
HANGER of VP-5
厚木基地に着陸するVP-5のP-3C。P-3好きの私にとって厚木でこうした外来のオライオンが撮れる事は、嬉しいことだった。特に最も遠い沖縄からやってくるVP-5とVP-9は、那覇の”でいご祭”に行くまでは、撮影の機会も少なく米海軍のP-3と同じく憧れの存在であった。
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海上自衛隊那覇基地は1933年(昭和8年)に当時海軍小禄飛行場として建設されたものであり、1936年民間機の発着が出来るように拡張され、逓信省の管轄と成り那覇飛行場と名前を変えたが、再び海軍に移管され海軍小禄飛行場に戻っている。当時1500メートルの滑走路が3本もあったそうであるから結構規模の大きな飛行場だった訳で、九州→那覇→台湾への定期便も飛んでいたそうだ。1945年4月から始まった沖縄戦では、此処を守っていた海軍部隊は孤立し、上陸する米軍の攻撃でほぼ全滅している。太平洋戦争後は米軍が拡大整備して、永く空軍/海軍基地として使用してきた。1972年沖縄返還に伴い、1972年(昭和47)年5月に海上自衛隊臨時那覇航空隊が発足、P-2Jが配備された。1981年(昭和56)年7月海上自衛隊第5航空群が発足し、1990年(平成2年)7月に第5航空隊にP-3Cが配備された。第5航空群は、第5航空隊/第9飛行隊/第5整備補給隊/那覇航空機基地隊の4つの部隊で構成されていた。
那覇のランウェイは幅45メートル 長さ3000メートルの規模がある(P-3Cより撮影)
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