専機隊
専機隊徽
VIP Squadron
HOME
NEXT
click here

↑ C-54お尾翼は、油圧を抜いた状態であり、恐らく風でラダーが動かない様、金属の支柱で固定されている。このような状態で長期に動かされていなかったので、デコイとして於いてあると判断していた。C-54は、1961年8月にVIP輸送用として7機が導入された。手前のC-47は現役であったが、稼働率は低く滅多に飛行する姿を見なかった。C-47は、1994年に全機退役したと記録されている。奥のビルは、国内線用のターミナル。

1982年3月 松山空軍基地の遠望。赤いEC-47以外にも、VIP輸送用のC-47が9機、既に引退していると思われるC-54が3機、B-727が1機の姿が確認できる。基地の裏手を走る高速道路(中山高速公路)から、200oレンズで撮影したもの。この滑走路は2500m以上で、ほぼ東西の方向でに造られている。

 C-54(72545?)

↑ 何とまだ現役で飛行していたC-118を見る事もできた。

C-118(43682)

1982年3月、台湾に赴任してから半年以上経過し、ある程度現地事情も分かった頃、松山飛行場へ撮影に出かけた。建設中のマンションの屋上に入れたので、丁度降りてきたC-47を得る事が出来た。VIP飛行隊C-47の塗装は、一本の青い直線ラインだったので、この機体のように途中で交差する2本の青いラインは珍しかった。

C-47(16087
C-47(76241)
↑ 国内線の旅客機に搭乗の際、タラップから登りながら撮影したC-47。エンジン始動前らしく、整備員が点検中であった。準戒厳令下であったので、堂々と軍用機は撮れない環境、こうしたチャンスを逃したくなかったのでトライしたが、しっかり固定して撮れなかったのでピントが決まっていない。1982年3月
 C-54(49106)
専機隊は、大戦後の1946年12月に当時の首都だった南京で成立した。1948年大陸を追われた国民党軍が台湾に移動して、1955年からこの台湾の松山で第104空運中隊として専機隊の活動が始まった。編成完了後は、C-47最大16機の勢力だったと言われ、上の写真1981年当時もC-47が専機隊の中心であった事がエプロンを占める姿で判ると思う。この頃には既に4機のB-727-100が配備されていたが、小型のC-47は使い易い存在だったに違いない。
↑ 高速道路を更に回り込むとランウェイが平行になり、駐機している各機が比較的近くなる。1982年では既に国内線を中心とした軍民両用空港になっていた為、CALの大きなハンガーも見えるが、多数のC-47とすでに引退したC-54の列線が目に飛び込んで切る。高速道路より逆流し撮りである。機体にデイグロのラインを入れているのは、当時2機配備されていたと言われるEC-47電子偵察機である。
輸送飛行大隊から分離独立して 主に要人輸送を専門とする部隊として 台北の松山飛行場をベースに運営されている。1957年にC-47を12機受領し その後米軍の援助も含めてC-118を2機、C-54を7機程度受領運営していた。1971年に総統(大統領)専用機としてボーイング社のB-720Bを導入した。この機体は「中美」號と名づけられ 機首にその愛称を描いていた。B-720は、 1980年代初頭から導入を開始したB-727にその役目を譲り引退、現在は、岡山の空軍記念公園に展示されている。B-727は、中華航空の使用機を譲り受ける形で最終的に4機が導入された。この後 1988年に小型機としてビーチ社のB-1900、1992年にフォッカ−社のFokker50を導入している。B-727-100も現在は、B-737-800に更新されているが、残念ながら私は、B-737の撮影の機会には恵まれていない。

↑ ターミナルからの撮影は多分当時禁じられていたはずだが、国内線搭乗前にカラス窓越しにC-54を撮影してみた。保存状態は良いが、やはり現役ではないようだ。記録を見るとやはり1982年(民国71年)に正式除隊となっている。

C-118(43682)