1977年7月7日 福建省の基地から飛行訓練中に離脱し 台湾南部の台南空軍基地に着陸したJZ-6(3171)偵察機仕様となっている機体らしい。亡命したのは、飛行中隊長 苑園炎。
亡命したMig機
1962年3月3日に台湾に亡命したMig-15. 訓練飛行中に離脱し 台湾東部の桃園空軍基地へ着陸。パイロットは、弱冠25歳の劉承司少尉。
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1987年11月19日に亡命したJ-6(40208)。パイロットは、福建省の基地から訓練途中に高度100メートル前後の超低空飛行でレーダーの追跡を逃れ 大陸に隣接する台湾領金門島の飛行場に舞い降りた。蒋文浩中尉24歳。
(Defection Wings from Red China)
大陸中国から台湾に亡命したパイロットの多くは、台湾への直線コースではなく韓国経由で台湾に亡命した者が多い。その為、これら亡命Mig機を展示している岡山の空軍軍史館に保管されているのは僅か4機に過ぎない(他にイリューシンが1機ある)。これは、離陸した大陸の基地の位置にもよるのだろうが、当時の中国空軍がパイロットの台湾亡命に相当な事前準備と神経を使っており、亡命を決行しようとするパイロットにとって、台湾への直接ルートは中共空軍当局の監視を受けやすく極めて危険だったからに違いない。韓国と中国の間には国交が成立している為、亡命に使われた機体は基本的に中国に返還される。従って台湾に存在する亡命Mig機は直接台湾本土に飛来したものだけである。 
1983年11月14日 中正国際空港に着陸亡命したJ-6戦闘機(83065)。亡命したのは、これまた中国人民空軍の飛行中隊長 王学成。スクランブルをかけた2機のF-5Eの誘導で建設途上にあった国際空港の第2滑走路に着陸したもの。