71 FS "Ironman"
湾岸戦争において1st TFWは、イラク機を1機撃墜している。当時71th TFS所属のスティーブン・テイト大尉はサウジアラビアのダーランを離陸、F-111,F-117などの攻撃隊の援護をしていた時、イラクのミラージュF-1の接近をうけスパローでこれを撃墜した。湾岸戦争で40機以上のイラク機が撃墜されているが、内37機がF-15Cによって落とされたもの、多くは33rd TFWの戦果であったが、スティーブン・テイト大尉は湾岸戦争で最初に撃墜を果たした1人として当時注目を浴びた。下の写真”FF-017"の機種にはミラージュF-1と書き込んだ緑の星の撃墜マークが入っている。
94 FS "Hat in the Ring"
1st FWの”Let's Roll"は、この94th FS所属機にあった。”FF-088"である。2002年には既に尾翼にUSAFの新マークが何機か確認された。旧TACマーク(現ACC)を見慣れた目には少し違和感のあるマークである。94th FSの機体の多くが他のFSと異なり、機種のレーダーコーンを濃いグレー色にしていた。
ランプインする27th FSのF-15C。この飛行隊は真っ先にF-22に転換した部隊で、第1戦闘航空団のモットー”FF”のテールレターが示す通り、真っ先に戦場に赴く飛行隊として最新鋭機を受領し何か事が起これば前線展開していくはずである。因みにF-22に転換した27th FSは、2007年2月から3ヶ月間沖縄嘉手納基地に展開した。
1 FW
アメリカ本国での 東岸側オープンハウスでF-15のデモンストレーションを行うのは、1FWである。下の写真でFF-019(タキシング)は、NASオシアナでのデモ飛行時のものであるが、機種に「Demo Team」のステッカーが貼られている。オシアナでは大抵P-51とかF-86とかいった往年の名戦闘機と編隊を組んで観客を喜ばせる。
ラングレーAFBは1st FWが本拠地を置くだけでなく、その上部組織であるACCも本拠地を置いており隣接してNASAの研究センターもある。日本で言えば入間基地と百里基地が合体したような基地であり、本部拠点を持つため外来機も多い。一部を入り江に囲まれていることもありゲートは、正門と第2ゲートの二つだけになっている。正門の方にはF-4CやB-52などがゲートガードで飾られている。1st FWそのものがラングレーに本拠地を移したのは、意外と最近のことでF-15Aを受領した1975年6月である。
アメリカ大陸の東海岸バージニア州にあるラングレー空軍基地(Langrey AFB)。ヨーク川とジェームス川にはさまれた中州の出口のような地形の所で(中州と言ってもスケールがでかい)造船で有名なニューポートニースやハンプトンと言う街に隣接している場所にこの有名な空軍基地は存在する。この付近は、多くの川が大西洋に流れ込んでいる地域で、入り江も内陸に深く食い込んで実に複雑な地形をなしており、ラングレーAFBも周囲を一部入り江に囲まれたような場所で周辺は湿地帯である。

ここラングレー基地に第1戦闘航空団(1st FW)が、本拠地を置いてF-15C/D 3個飛行隊を運用している。1st FWは、1975年にTAC(現ACC)で最初にF-15Aを受領した航空団で,テールレター”FF”は、First-Fight(真っ先に戦う部隊)を示していることは有名だ。傘下の第27戦闘飛行隊は、1917年の創設で空軍中最古の飛行隊であり 1975年6月30日に戦術戦闘航空団として最初のF-15A/Bを受け取った部隊でもある。また 第94戦闘飛行隊も歴史が古く,第1次大戦で多くのエースを輩出している。
 最近では、1st FWは湾岸戦争で最初のイラク機(ミラージュF1)を落とした部隊として名をなし(但し1機だけだった)この機体は今でも撃墜マークを機首に入れている。
(2002/10/6 記)

1970年代当時最新鋭のF-15Aの最初の実戦部隊配備先が、このラングレィ空軍基地の第1戦術戦闘航空団だったが、1976年末までに72機が配備された。この航空団はそれまでマクディル空軍基地に居てF-4Eファントムを使っていた部隊であった。1976年1月にF-15の1号機を納入されて、その後毎月8機ベースで納入されたそうであるが、第27戦術戦闘機中隊は、最初に配備を受け、1976年9月に編成を終えている。当時F-15Aの飛行隊装備定数は23機、パイロットは30名と言われた。また。配備後話題となったのが、M-61バルカン砲の命中率の良さで、第1戦術戦闘航空団ではF-4時代に50%だった命中率が、F-15Aで85%を記録したとなっている。因みにこの頃、航空自衛隊では漸く小松基地に3つ目のF-4EJの部隊が配備を終えた頃に当たる。

Langley's Photo
F-15C of 27thFS/1FW (81-0051)
ラングレーのF-15と言えば、1979年3月19日から3日間 三沢基地で行われた”Joins DACT-3 Excercise"別名コープノース79-3に 4機のF-15A(74-114、74-132、74-109、不明)が参加し、自衛隊のF-4EJやF-1との異機種戦を展開した部隊である。尚 日米DACTの最初は、1978年11月だったそうだ。
東側は、このように海に面しており F-15は撮れないが ウミネコなど海鳥がのんびりと羽を休めている。
Main-Gate of Langley AFB
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No.2 Gate of Westside
27 FS "Fightin Eagle"
ラングレーAFBはオシアナ海軍航空基地に比較的近い。1999年我々はオシアナOHの前日にラングレーの下見を行ったが、東からの海風が吹けばバッチリ撮れる環境にあった。但し、例の9/11事件の後は警備が厳しくまず撮らせて貰えないだろうと考えていた。2002年のオシアナOHに赴いた際、それでも折角来たのだから行ってみようと撮影を試みた。場所は第2ゲートの付近を選択、セキュリティーから直ぐ発見されるような位置になる。午前中風は西風、海側からLNのF-15C/MNのF-16など外来と地元NASAのブロンコが降りたが、只指を咥えて眺めるだけである。午後 運良く風が変わりゲート前で堂々と撮影を行った。1st FWの各飛行隊が入れ替わりで7-8機づつ繰り返しフライト、友人とさんざん撮影し日が傾く頃最後の機体を撮影し終えてカメラを仕舞いこんだその時!!「君達 ここで写真撮っていたのか?」・・・来た!私服のセキュリティーである。「此処は撮影禁止だ、見るだけなら良いが撮ってはいけない! まさか写真と撮ってないでしょうね?」・・我々「オシアナの航空ショーに来たので此処は見学しているだけ、全然撮ってましぇ〜ん」と嘘ぶっこいて退散である。なんと言うラッキーだろうか・・