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午前中は光の当たり具合が、ベスト状態。左旋回で大きくバンクしたF-15も撮れるが、午後になると下の写真のように、光線は厳しくなる。
F-15C/D in 2014
(2014)
(2014)
最後のロービジ展示機になるかもしれないF-15C”ZZ-029”(83-0029)、元は、ラングレーの27th FS所属であった機体、嘉手納に移動後67th
FSの所属となっている。。
嘉手納空軍基地の北側、東シナ海の海岸線が広がる風景である。この海岸線 最近整備が進み 護岸工事で海岸に沿った長い公園として完成した。白い屋根を持つ休憩所も数か所造られて サーファーも多い。この海岸の公園がまた航空ファンの新たな撮影ポイントとしてにぎわっている。何しろ 北風の多い冬場は、視界の広がるこの場所は、アプローチの飛行機を見逃すことが無い。突然 木々の陰から戦闘機飛び出してくる緊張感のある(?)R/W23の県道とは一味違うのんびりした光景である。
米空軍の中でも最優先にアップグレードが図られて来たPACAFのF-15C/D。2011年米空軍は、5年をかけて朝鮮半島の大韓航空で整備メンテナンスを行う契約を結んでいる。F-35のサブライチェーンが日本に決まったように、F-15Kの購入で実績のある大韓航空が、アジア地域におけるF-15系列の米軍のサブライチェーンと言う訳である。18th
WGに所属する54機のF-15C/Dのアップグレードも、この計算であれば2015年から2016年に掛けてすべて終了するということになるが、ゴールデンイーグル計画が達成されても、将来的にはF-35Aへの転換が予定されており すでにF-15C/D時代の終焉は、カウントダウンが始まっていると言えよう。(2015/2 記)
私にとって2年ぶりの横田基地航空祭であった。何とさっぱりした展示機ラインナップであったが 黒レター”ZZ”のF-15は、何十年ぶりであろう。1980年代の記憶が蘇るような光景である。 2014/9/5 Yokota
AB
嘉手納に初めてF-15C/Dが配備されたのが 35年前の9月29日、最初の16機が到着して F-15の時代が始まり今年で35周年となる。それまでに航空団が同一機種を35年間も使い続けた事は無いので F-15戦闘機と言う機体が如何に優秀であるかを物語る。18th
WGが使って来たこれまでの戦闘機類と比較するとF-105で11年、F-4C/Dで10年、RF-4で22年間であるから F-15C/Dが如何に長く使われているかが判る。制空戦闘に力点を置いて造られた数少ない戦闘機の一種であるが 機体そのものの完成度が極端に高く 大きなボディは、更新されるべき電子機器を余裕を持って受け入れられる。それでも 2014年3月に国防省から 海外に展開しているF-15の部隊から 50数機を削減するとの発表があった。嘉手納と英国のレイクンヒースにしかF-15C/Dは、配備されていないので F-35配備を念頭に嘉手納から削減される可能もあるだろう。
午後2時を過ぎると季節にもよるが光線状態は良くない。がっちり撮りたいマニアは、国道58号線の順光で撮れる場所に移動する。のんびり派は、海を入れてF-15のアプローチを楽しもう! 機体によっては、左に大きくバンクして 300-400oレンズで背中が撮れることもある。
2014年12月16日 雲から陽光が海に差し込む午後の海外線、F-15が次々に戻って来た。オーバーヘッドアプローチの後は、数機が海をなでるように低く進入する。
あらっ! 18th WGの司令官指定機もテールレターが黒色に復活、デザインも変わって”WG”の文字が小さい。2013年に確認した18th WGの司令官指定機は、ZZ-025(84-0025)撃墜マーク2個付きであったが いつの間にかZZ-107(85-0107)に変更されている。2014年8月までは、44th
FSの所属の通常マーキングだったので 秋以降に変更されたものだ。
横田に展示されたF-15C/83-0029。 ZZ-029は、2014年12月には、黒レターに変わっていた。
オーバーヘッドからのアプローチを撮ろう! 最近 よほど雲が垂れていない限り 嘉手納の管制官は、オーバーヘッドアプローチを認める。
2014年12月15日 この日は、前日12/14の那覇の航空祭の後で嘉手納も多くのマニアが集まっていた。W先輩とは、安保の丘でばったり会ったが F-15が離陸しそうとのことで「先輩 上がり撮りに行くんですか?」との質問に「当然!!!」との答え、さすが行動力の先輩である。この日のF-15の離陸は、数機が極めて低い位置で撮れた。ZZ-110は、電線と手前の街路樹がファインダーに入っており 極めて低い事が判るでしょう。