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↑ この写真もマウントに一切の記載が無いが、背景から嘉手納基地のR/W-2辺りであろう。ZZ-239/66-0239は、第44戦術戦闘機中隊にいたはずである。
以上の3枚は、機体に付いているインシグニアが大きいので、1977年以前に撮影された証拠である。↑ この機体は航空団の中で一番有名なベトナム戦で通算6機のMigを撃墜していたZZ-463。1976年頃まではインテークベーンの6つの赤い星は、はっきりと大きく書かれていたが、この頃は目立たないようにしたのか、くすんだ感じを受ける。第44戦術戦闘機中隊に所属し、右側面はバンパイヤのインシグニアが入っていた。1976年11月撮影
↑ 写真では700番の頭のシリアルがはっきり判らないが、私の白黒写真では頭に”66”と入っているので、この機体も恐らく66-8700だと推測する。尚私自身はこの機体を1977年8月に見た後は姿を見ていないが、長くは嘉手納にいなかったと思われる。所属はチップラインが緑の第25戦術戦闘機中隊。アッサムドラゴンである。機体は、その後朝鮮半島のクンサン基地第8戦術戦闘航空団に移管され ”WP”になっている。。
↑ 1979年12月撮影の25th TFSのF-4D/66-8823。撮影場所の記載はないが、背景から恐らく岩国基地と思われる。尾翼には”ZZ 68-823”と書かれているが、1968年会計予算のものではなく、1966年会計予算での製造機。米空軍はこうした紛らわしい表記が多い。この機体は沖縄を去った後、982年8月に墜落して失われた。
↑ 後ろにずらりと並ぶのは、沖縄嘉手納基地に到着してまだ間もないF-15C/Dの群れである。いよいよ世代交代が始まった時の様子。機体は、12th TFSのF-4D/66-7659
↑ 尾翼の黄色いチップラインと鷲のインシグニア、第12戦術戦闘機中隊のF-4D/66-7709。同飛行隊もAGM-65マーベリックミサイルの運用能力が付与されており、1978年頃は同ミサイルを付けた訓練が多かった。このマーベリックミサイルは、シーンマグと呼ばれるテレビ誘導型であり、機体にも誘導装置が必要なので、これを付けていないファントムは運用できない。
嘉手納基地にいた第18戦術戦闘航空団(18th TFW)の各種ファントムについては、私の作品は殆ど白黒フィルム中心で撮影されており、カラーはあってもネガカラーフィルムしか残っていない。渡辺氏から移管されたスライドフィルムコレクションの中には、これら当時のファントムの姿を美しいカラースライド写真で残されており、撮影者は複数に及ぶが殆ど基地内で撮られている。コレクションとして、また記録写真としても貴重である。このページは当時F-4C/Dを使用していた第12戦術戦闘機中隊など4個飛行隊の機体写真を中心に展示して行きたい。
↑ 1979年12月撮影の12th TFS所属のF-4D/66-7688。撮影場所が記載されていないが、恐らく嘉手納空軍基地でF-15Cと交代し、本国に送られた後の写真ではないか・・・・
↑ 第67戦術戦闘機中隊のF-4C/63-7574 航空団の中でワイルドウィーズルの役割を負った唯一の飛行隊。1976年11月撮影
Wings
↑ バンパイヤのインシグニアお付けたF-4D/66-0242。胴体下の細長い白い機器は、AN/AVQ-23と思われるが、レーザー誘導爆弾の照準をするための機器である。1976年11月撮影
↑ 第44戦術戦闘機中隊バンパイヤーズのF-4D/65-0796。機首の下面に付けているのは、電子妨害装置で所謂ECMポッドと呼ばれるもの。型は、AN/ALQ-119で嘉手納では一番よく見かけた型である。この装置を本来スパローミサイルの設置箇所に付けた為、F-4Dは、スパローが3発しか運用できなくなった。しかし、ベトナム戦争の教訓からECMポッドは、敵のレーダーと対空ミサイルを避けるためには欠かせないアイテムとなっていた。上3枚の写真は何れも1979年12月に嘉手納基地での撮影とある。