↑ 飛行前点検を受ける15th TFSのRF-4C/71-0255。私は見たことの無いシリアルであるが、どうも1980年代半ばに嘉手納の配属され、15th
TFSの解散と共に本国に戻った様である。
上の2枚ともに撮影年月日が不詳であるが、1985~1987年頃日本にも度々飛来している尾翼に鳥居を描いた機体。インテークベーン横には18th
TFWのシンボルとなった将軍の兜の絵柄がある。68-0582/66-0440
↑ 同じく1983年4月に嘉手納で撮影されたRF-4C。上から 68-0551/68-0581/68-0582/68-0592と製造番号シリアルが近い機体であるが、この前後のシリアルの機体は嘉手納基地で良く見られた。また上の4機のその後の運命も同じで、テキサス州バーグストロームの第67偵察航空団に移管されている。
↑ 1983年4月嘉手納空軍基地内で撮影されたRF-4Cの列線。尾翼の表示はZZ60-416/ZZ66-446となっていて年度が異なるように見えるが、共に1966年会計予算での製造機で、シルアルは66-0416/66-0446である。両機は比較的近いラインで生産されたはずである。因みに66-0416は、1987年沖縄の沖合で墜落して、2名の搭乗員が殉職している。
↑ 上2枚と同じく1979年12月に嘉手納空軍基地で撮影された15th TRS RF-4C/68-0589。F-15C/Dの配備が進む中、他の部隊に移動する機体も増え、この機体の他 数機がテキサス州のバーグストローム空軍基地の偵察航空団(67th
TRW)へ移動している。
↑ 1979年12月に嘉手納空軍基地で撮影された15th TRS RF-4C/66-0440。上の2枚は同時期にとられてものであるが、白いテールレターに混じり、黒のテールレター機も出現しており、書き換えの過渡期にあった。F-15Cの配備が進む中、RF-4Cは一気に黒いレターに書き換えられる。このRF-4C/66-0440は、1990年に韓国に売却されたようである。
↑ 1976年11月に嘉手納空軍基地で撮影された第15偵察機中隊のRF-4C/67-0453。左側面の航空団のインシグニアがまだ大きい時期にとられた貴重なカラースライド写真である。
嘉手納基地にいた第18戦術戦闘航空団(18th TFW)の各種ファントムについては、私の作品は殆ど白黒フィルム中心で撮影されており、カラーはあってもネガカラーフィルムしか残っていない。渡辺氏から移管されたコレクションの中には、これら当時のファントムの姿を美しいカラースライド写真で残されており、撮影者は複数に及ぶがコレクションとして、また記録写真としても貴重である。このページは第15偵察飛行隊の写真を中心に展示して行きたい。
↑ 上3枚の写真は、何れも1983年4月に嘉手納空軍基地で撮影されたタキシー中の15th TRS RF-4C。上から66-0446/68-0581。両機共に左翼パイロンに電子妨害装置AN/ALQ-119を付けている。僚機共に機体下面までカモフラージュ塗装が施されたオーバーラル・カモフラージュ迷彩となっており、燃料タンクの塗装もオールグリーン化が進んでいた。
↑ 1982年6月に朝鮮半島のオーサン空軍基地で撮影された15th TRS RF-4C/71-0252。15th TRSがRF-4Cを受領したのは1967年で、1990年まで23年に及び、極東唯一の偵察ファントム飛行隊として活躍してきた。その間、常に分遣隊の形で朝鮮半島に何機かが常駐していたようである。