↓ 嘉手納周辺は、6月初旬に梅雨明けすることもあり、その頃からは強い南風または南西の風が吹く、その場合航空機はRW/23を使うため 撮影ポイントは、県道74号線でランウェイの東端となる、1970年代後半にはここにブラジル帰りの兄妹が運営するハンバーガーフードバス”サンパウロ”が店を開いており観光客や航空ファンのたまり場となっていた。

視界の広がる海側(滑走路西側)に比べ、滑走路東側は、山の風景である。木々が視界を邪魔して、撮影はエアバンドなどの手助けがあった方が便利である。

The period of F-4C/D
The period of F-15C/D
ここでは、20年前に嘉手納の空を制していたF-4の時代と F-15に機種転換した以後の時代を分割し 18TFW(現FW)のそれぞれの機体を紹介していきたい。
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18th TFW
第18戦術戦闘航空団(18th TFW)は、1954年以来沖縄に駐留する日本に最も縁の深い米空軍の航空団である。もちろん1972年の沖縄本土復帰まではアメリカ統治下にあった為、我々が気軽に撮影に赴くことが出きるようになったのも復帰以降である。私は厚木/横田で写真を撮るようになって、諸先輩から聞く沖縄の話に、次第に嘉手納基地への憧れが強くなり、どうしようもなく行きたくなった・・ここは米軍機を撮る上での正にパラダイスだったのだ。最盛期 F-4/RF-4の飛行隊が5個、KC-135/SR-71/MC-130など空軍機の宝庫であり、P-3は常駐しているし、海軍/海兵隊も部隊単位で演習に来る為、1週間居れば、厚木/横田で撮れる1年分の撮影量があると思われるぐらいだった。行きたくなったら先ず準備!当時学生だったので 時間は何とかなるが、旅行資金の方は簡単ではない。そこでアルバイトも稼ぎの良い肉体労働を選び、苦労して稼いだ資金で 1977年8月憧れてやまない嘉手納へと向かった。嘉手納基地は本来6月の梅雨明けから7月下旬までが、風向きの関係で多くのタキシングがものに出来る為 ベストシーズンと言われていたが、この時期に資金を貯める必要があった為、8月となってしまった。憧れの沖縄は、まだ車は右側通行。初めての沖縄行は全日程ホテルを那覇市内に取ってしまったため、毎日バスで嘉手納に向かうはめになった。各駅停車のバスだとR58を通って嘉手納まで約40分の道のりであった。初日、朝早く出掛けたつもりが 嘉手納基地に着いた午前8時前には、次々と航空機がR/W05にランディングしていく。多数の18th TFWのF-4をバスから見送ることになる。しかし、流石にF-4ファントム5個飛行隊ともなればフライトの数はすざましい、夕方まで 左右のR/Wに振り分けて降りるこれらの航空機に休む暇無しだったと記憶している。
 初回で味を占め 毎年稼いだバイト代はすべて嘉手納に行く為に使ったと言っても 過言ではないくらいのめり込んでしまった。そのぐらい当時の嘉手納には魅力があった。就職して沖縄に写真を撮りに行く機会もなくなったが、1999年に20年ぶりに嘉手納を訪れた時は、18FWのフライト数の少なさに当時との大きな落差を感じたものである。
秋から春にかけては、北風または北東風が吹く期間が長い、この時期 F-4C/Dファントムに代表される嘉手納の米空軍機の撮影場所のメインは、滑走路西端を南北の横断する国道51号線である。写真は51号線を走る米軍車両の数々、いずれも嘉手納基地周辺の代表的な風景であった。