↑ フィリピンのクラーク空軍基地で撮影されたModex-61。有名なF-5Eのシャークマウスで、嘉手納基地にも飛来歴がある。この塗装が何時頃施されたのかは、詳しい資料が見つけきれない。とほほ。
↑撮影場所、期日ともに不明であるが、このModex74は1978年のオリジナルスキームとは異なり、ページトップの1985年版スキームとも異なっている。クラーク基地現地でエアブラシで上塗りしたような、多少雑な塗装である。後ろに見えるModex13番と思しき機体の塗装が1986年以降のものであるから、その前後かもしれない。
フィリピン・クラークを本拠とする26th TFTS(26th AS)は、1980年代中期に日本本土の航空祭にも参加するようになり 嘉手納まで行かずして目の前に置かれたF-5Eを楽しむことが出来た。このページでは、三沢 横田 入間基地航空祭などに展示されたF-5Eの姿を中心に紹介したい。
当時ソ連軍で最も数の多かったMig-21との空戦訓練をシュミレートするため、本来は海外向けの小型戦闘機として作られたF-5Eを米空軍が本格的に訓練に使うようになったわけであるが、F-4などの大型戦闘機に比べガタイが小さく、レーダーに映る反射像も小さいのと、エンジンの排気ガスがほとんど無煙で空に黒い航跡を残さない為、シュミレートする相手としては中々手ごわい相手であったそうだ。ただし 強力なエンジンを積んだMig-21に比べ、F-5Eはそれほどパワーが無いこと、一度コックピットに座ったことがあるが、後方視界ゼロの上に(バックミラーで多少見えるが) 前方の視界もそれほど良くない。ベテランでないとこの機体で強敵を演出するのは、結構大変である。
ブルー・スキームは、機体下面もライトブルー色で上面3色と異なる為、厳密に言えば4色の青系塗料でペイントされている。下は同じ機体で三沢基地祭に展示されたもの。右側面と左側面では、配色の仕方が大きく異なるのがお分かりでしょう。また、センタータンクや翼端のミサイルがないと迫力には欠けるが、逆にスマートさが際立つ。
↑ 1985年11月の入間航空祭に参加した26th TFTSのF-5E。丁度 私の妻が出産を終えてまだ入院している中、F-5Eが参加することを聞いて、妻には申し訳なくも入間に向かった思い出がある。従ってこの写真は、私の娘と同じ歳となる。いつも 多くの人で賑わう入間ではあるが、こんな目面しい機体が参加したこともあって、機体の回りは人垣が出来ていた。しかし マニア以外でこの機体に注目した人がどの位いたかは分からない。フィリピン・クラーク空軍基地からの珍客であるが、配備から8年目を向かえ、当初のオリジナル塗装からずいぶんお色直しがされている。
(74-1575)
↑ 1980年代初めごろ26th ASの司令官機に指定された機体で、機首にはっきりと司令官機です・・と歌った機体。写真と資料を見ると、その書き方も変化しており、一部推測も入るが、1983年では機首の上部は、黒色で塗られ左側面の”26”の文字はレードーム側に寄せられて 恐らく”AGGRESSOR
COMMANDER”お文字は、”26”の右手に書かれていたはずである。それが1984年に韓国で撮影された機体では、左側面機種は”26”の右手に”TFTAS
COMMANDER”と書き換えられていた。この74-1389は、他の5機と共に1988年にタイ空軍に移管され、711/701飛行隊に配属になったとある。但し 74-1089は部品取りとして保管され飛行していない。
(74-1574)
ショー展示を終え、入間基地を離陸のため準備をする2機のF-5E。手前、シルバースキームの15番であるが、どうしてシルバーかと言えば、当時 ソ連を代表する東側世界の戦闘機の代表がMig-21フィッシュベット(NATOコード名)だったからだ、Mig-21の機体はほとんどジュラルミン生地の無塗装か薄いグレー色であったためそれを模倣したもので、機首のナンバーの書き方もそれらしく書き込まれている。当時、26th ASに所属したシルバーのF-5Eはこの75-0615と75-0614(前頁 嘉手納タキシングの4機の先頭)の2機である。
(75-0615)
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1980年代半ばになると、アグレッサーの本拠地であるネリス空軍基地でもそうであったが、塗装パターンが多種多様に変化して、マーキングの種類も派生型が多くなっていった。26th
TFTSについても 上の写真でお分かりの通りブルー系迷彩の”パッチーズ”と呼ばれる塗装のF-5E(74-01574,74-01575が、ニュータイプのブルー迷彩に変わり、リザードの74-01561は、タンがライトブルーに変わって 色変わりしたトカゲに変化した。74-01562だけが、オリジナルのリザード(トカゲ)迷彩である。銀色のシルバー・スキームは、機首番号26番(72-1389)が隊長機に指定され、72-1388、75-0615の3機、後にジュラルミンの地肌に薄くオーバースプレーが施されている。3色迷彩のスネーク迷彩75-0612と75-0613は、白や茶系の色が加わり、訳のわからないような迷彩になっていた。グレー系迷彩は、従来の75-0616と75-0617に加え シルバーだった75-0614がグレーに変わったとされ、全部で12機の勢力である。
↑ ページでご紹介したリザードの61番、1983年にはミディアム・ブルーとチャコールの2色迷彩に塗り替えられた。イラストは、1983年クラークで確認された2色の新リザード迷彩の機体である。その後 この機体は、ベトナム迷彩をを施され、機首にシャークマウスを入れた有名な塗装となるが、これは下段イラストでご紹介する。この機体もタイ空軍に売却されて 部品取として保管されたとある。
↑ スネーク迷彩であった”13”番(75-0613)は、グリーン系2色とタンを加えたベトナム迷彩のような塗装とされたが、この迷彩にパターンは、アメリカ本国での呼称”フロッガー・スキーム”に近いもので 色は多種の組み合わせが存在した。1985年に嘉手納に飛来した際は、さらに迷彩パターンを変え、ダークグリーンの部分は、カーキ色が加わった複雑な迷彩になっていた。国籍マークが省略されてしまっている。
上は、入間の航空祭を後にし帰還するF-5E、全体のブルー迷彩のスキームが分かる写真であるが、下写真のF-5Eのブルー・スキームとも明らかに異なるのがお分かりでしょう。当初パッチーズといわれた迷彩も 配色の異なるブルー系の塗装が多くになるにつ 呼び名が変わっている。この機体のように 3色迷彩の内中間のブルーが紫色になって多くの面積を占めているものは、グレープ・スキームとも呼ばれていた。国籍マークもロービジタイプである。
↑ 1985年10月6日 三沢基地での撮影。
↑ リザード・スキームから何度か塗装を変え、ついにはベトナム空軍迷彩にシャークマウス付の塗装となった。