PN-239 (71-0239)
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PN-355 (68-0355)
PN-088 (71-1088)
↑ 1979年後半頃から横田基地にも良く飛来した第3戦闘航空団の司令官機塗装をされたF-4E/68-0312。尾翼の”3rd”などレターは、その後黒に変更された。機首にマレーのバターン半島の地図をいれ、第二次大戦中の”バターン死の行進”を忘れるな・・と言う意味らしい。
E型の特徴の1つに翼の前縁スラットがあげられる。←この機体では、このスラットがはっきり判るが、これは空戦(ドッグファイト)における機動力を向上させる効果がある。また 翼の付け根に筒のようなものがあるが、これは後期型につけられていたコンバット・ドキュメーション・カメラである。
PN-392 (71-1392)
第3戦術戦闘航空団(3rd TFW)は、1974年からフィリピン クラーク空軍基地に展開し、2個飛行中隊約50機ほどのF-4Eを擁していたが、1979年頃よりF-4Eに加え 第90戦術戦闘機中隊(90th
TFS)には、対レーダーサイト、対空ミサイルサイト攻撃を専門とするF-4Gファントムが13機ほど加わり それらの機体はクロスカントリーやノープノース演習などで 嘉手納だけでなく 度々本州の横田・三沢基地などにも展開し ファンを喜ばせた。特に1970年代の末期から機種に描かれたシャークマウス(鮫口)は、ベトナム戦争時の388h
TFWを彷彿させるもので 多くのファントムファンを熱狂させてきた。F-4ファントム空軍配備機は、1980年代に入ると所謂ベトナム迷彩と呼ばれたコスチュームから 機体の下面まで暗い迷彩色で塗り固めたオーバラル・カモフラージュが現れ その後”タン”と呼ばれる明るいサンド色の部分をダークグレーに変更したヨーロピアンⅠ、そして当時はエジプトⅠと呼ばれたグレーの2色迷彩にいたるまで 多彩な衣装をまとって我々ファントムファンの前に現れ魅了していった。3rd
TFWの機体も絵意外にもれず こうしたマーキングの変遷をたどっている。
↑ エグリンAFBの31st TFWがE型からD型に機種変更して 転換訓練部隊となった為 余剰となって 3rd TFWに廻って来た機体である。フィリピンからの飛来の場合 このように翼の2本の燃料タンクとセンタータンクの3本タンクにパッケージ・ポットと言ういで立ちが多かった。
↑ 翌1980年には、尾翼のチップを赤黒のチェックに変えた新塗装に変わったF-4E/68-0312。バターンの地図は消さず残されている。若干ベトナム迷彩のパターンが塗り替えられ変化が見られた。
↑ 1979年頃確認された第3戦闘機中隊の隊長機指定機、尾翼チップが鮮やかな青に塗られ この時期から2個飛行隊は90th TFSが赤、3rd
TFSが青に塗られるようになり、見分けが付き易いなった。インテークベーンに”Check Six”12時の後方に注意というマークが書かれていた。
PN-391 (71-1391)
1980年代に入り機首にシャーク・ティースを入れた3rd TFWのF-4E。シャーク・ティースは、51st CWのシャークマウスとは口の輪郭が異り、ベトナム戦で有名だった388th
TFW(”JJ”とか”JV”のテールレターを付けていた)のF-4Eのものに近かった。3rd TFWの所属機は、80年代に入ってからクロスカントリー等で横田基地を訪れることが多くなり、この何とも魅力的な機体は多くの航空マニアを魅了した。
日米のDACTと言えば、今や年中行事となったが そもそも1978年11月に三沢基地で この部隊を向い入れてスタートしたのが最初である。当時日本で開催された場合”コープノース” フィリピンのクラークで開催された場合は、”コープサンダー”と呼ばれていた。コープノース79-1で、自衛隊の参加部隊は、8SQのF-86、302SQのF-4EJ、203SQのF-104J、3SQのF-1と4部隊4機種・・バラエティ豊かだった。
PN-392 (71-1392)
PN-458 (68-0458)