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現在の35th FWの前身となった432d TFWの欄でも記載したが、三沢市は1942年に日本海軍の航空基地が作られる以前は、恐らく小さな農村であったはずだ。明治14年(1881年)に三沢村発足から明治27年(1894)に鉄道が敷かれる前は農業(主に馬と牛等の畜産、放牧)と漁業を営む小さな村が、鉄道の敷設により商業が発展することになるが、1500m級滑走路3本と言う当時としては大きい海軍基地の建設により、多くの海軍軍人と家族がこの町に住むことになる。戦後は米軍基地として大幅な拡張が行われ、延280万人の労働者が流入して街は大きく発展したと言われる。それ故今でも町の中心は三沢駅周辺ではなく(駅にはコンビニもない)、三沢基地周辺であり市の庁舎等も三沢基地入口に近い。三沢氏の人口が40000人弱の中、米軍の軍人と家族だけでも8000人近くが基地及び周辺に暮らしており、人口の20%を占める、横須賀基地に次いで日本で4番目に米軍人の多い自治体である。また三沢基地は、正式にアメリカ空軍と自衛隊が合同で航空祭を行う唯一の基地でもあるそうだ。別項で飛行場が作られた経緯を説明したが、1年を通じ比較的天候が安定している。そうは言っても冬場は先程まで晴天でも、雨雲が来れば一瞬で吹雪で視界が遮られる事がしばしばである。
↑ 2022年4月に私が三沢基地展開した際、赤いチップの13th FSは、グァム島に展開していたらしく、三沢では殆ど飛ばなかった。今回は2個飛行隊とも動いていないので、三沢での活動は活発である。さて、午後のフライトは、最初の1回だけしか撮影のチャンスが無い、この一陣が上がったら再び着陸ポイントへ向かおう。午後の2度目のフライトは離陸が3時を過ぎるので、着陸時太陽が沈みかけているからである。冬は撮影できる時間の制限も厳しい。
↑ ご覧のようにAMRAAMやAIM-9M/X等の兵装に加え、HARMミサイルをターゲティングするHTSポッド(AN/ASQ-213)を全機が付けている。以前はHTSポッドを右側面に付けていることが多かったが、現在は、ほぼ全機が左側面に付けている。これは恐らく部隊にLANTIRNやAAQ-33スナイパーXRが充実し、それを右側面に付けるようになったからであろう。着陸機を見ると何れもAAQ-33スナイパーXRかLANTIRNを付けているが、その割合はスナイパーが若干多い程度だ。
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