36TFS
-U
2003年11月本件について 水本さんからこんな情報と写真を頂いた。
「先日(2003年11月1日)烏山空軍基地に行きましたが道路標識やバスの行先表示にも依然として「K-55」が使用されていました。基地の名前は「烏山」となっていますが、韓国国鉄(KORAIL)の急行に当たる「無窮花号」の停車駅でないため、SEOULからは高速バスで行き、烏山のバスターミナルから15分くらい走ってOsan ABのMain Gateにつきました。Gate前には、米空軍のワッペンやお土産屋がたくさんあり、3〜4時間うろうろして入った店の女主人がたまたま日本語が話せたので、たずねたところ夕方のラッシュで高速道路は駄目だし、帰りは路線バスで烏山の一つ南に位置するPyongTaegに行き「無窮花号」に乗ったほうが早いとおしえられて乗ったのバスの表示がPyongTaeg−K-55」でした。」 右写真はOsan ABのメインゲート、意外と市街地の真ん中にあり こじんまりとしている。
横田基地のOpenで最後の展示となった497th TFSのF-4E。51st TFWもPACAFのインシグニアも入っていない超ヨーロピアン・スキームで少しがっかりではあったが、この時期はOV-10のようなレアな機体からC-141、C-5までこの迷彩スキームが行き渡り、暗い迷彩機の全盛期だった。私が韓国駐留のF-4Eを見たのはこれが最後となった。 
Many thanks!! Mr.Mizumoto
51st CWのF-4Eは、海兵隊の岩国基地航空祭には展示されることが多かったが、空軍基地である肝心の横田基地に展示されたのは、1982年になってからである。この時展示されたのは36th TFSではなく497th TFSのF-4Eであり、尾翼のフィンチップは”青”。
Pacth of 497TFS
烏山空軍基地(Osan AB)は、朝鮮戦争時代の1952年12月に建設された基地で、当時はK-55と言う名前で呼ばれていたそうである。首都ソウルの直ぐ南60qに位置する韓国最大の米軍基地で3000m級のRunwayを持つ。首都に隣接し北鮮との国境とも近いことから 有事には真っ先に攻撃を受けることになる。その為、機体は蒲鉾型のスチール製シェルターに収められ堅固に守られており、警備は特に厳重で偶に開催されるOHでもバカチョン・カメラ以外は持ち込みも出来ないそうである。このオーサンABの航空祭に2回ほど遠征した人の話しだとエプロンの目の前を多数の機体が転がり実に壮観だそうであるが、カメラ持込に厳しい制限があればマニアにとっては反って精神上良くない!!
497th TFSは、テール・レターを従来の”OS"から”GU”に変更、フィンチップのくすんだ色で見分けなくとも 36th TFSか497th TFSか直ぐ区別できるようになった。この”GU”は大邱空軍基地(Taegu AB)からとったもの。この時期に同じ51st TFWの所属で水原空軍基地に駐留している25TFSのA-10はテールレターを”SU”に変更している。51st TFWのF-4Eはヨーロピアン-1の出で立ちで2度ほど横田に展示されたが、その後エジプト-1のグレー塗装になってからは、確か1度もOHには展示されてなかったと記憶する。
F-4E/ 497TFS (69-7557)
& 497TFS
1984年青森県三沢基地の航空祭に展示された36th TFSのF-4E 2機。ご覧のように上の機体は下面も迷彩を施した所謂”オーバラルカモフラージュ” 下の機体は、この頃アメリカ空軍機にやたらと増え始めたダーク・グレーとダーク・グリーンの”ヨーロピアン-1”..と呼ばれる迷彩になっていた。また 鮫口も従来の直線的なShark Mouth”から口上下のラインに曲線を加えたものに変更されている。確か51st TFWのユーロピアン-1塗装の機体が日本で確認され始めたのは1984年の6月からである。
F-4E of 36TFS (67-0391)
F-4E of 36TFS (68-0365)
F-4E of 497TFS (68-0339)
F-4E of 497TFS (68-0339)
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