39th Rescue SQ

(1992〜1994)

1993年三沢基地に当時最新鋭のコンバットレスキューHH-60Gペーブホークが配備されたと聞いて三沢の航空祭に出向いた。1992年三沢に配備された第33救難飛行隊(39th RQS)である。この部隊、元々日本に縁のある飛行隊で朝鮮戦争時代に九州の芦屋基地で創設され、SA-16アルバトルス飛行艇をもって救難活動を開始したとされている。その後、タイや南ベトナムを拠点に活動し1992年に三沢に戻ってきた。しかし、1994年に機体を嘉手納の18th WG/33rd RSに移管して本国に戻ってしまった。
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HH-60Gが三沢に配備されたのは1992年3月で、V-107バートルの4倍の航続距離とさらに空中給油可能な運行能力で、当時米空軍が力を入れたコンバットレスキュー隊のホープとして期待された。何せ1992年時アメリカ空軍全体でも80余機程度しか機数が無かった新鋭機だったのだ。

Wings
1994年に432d TFWから35th FWに戦闘航空団の名称が変わった時、39th RSも432nd FW と共に三沢を去った。また航空自衛隊の救難装備が充実するに伴い、三沢基地に専門の救難飛行隊を置いている必要性も薄くなって来たのだろう。それより規模が大きく海に囲まれた嘉手納基地の部隊こそ救難飛行隊に新鋭機が必要だったのだ。

↑救助用のホイストのつり上げ能力は300Kg程度で、大人3人を余力を持って吊り上げられるからしいから、救助用としては充分な力である。

↑ 空中給油用のプローブは、給油時にローターとの接触を避けるために、前方に4m近く展開して安全を確保するそうだ。乗員は5名だが、操縦者以外は救助任務の他、12.7mm機関銃のガンナーとしても活躍する。

39th RSの司令部は、F-1などを運用する航空自衛隊側にあり、F-16C/Dを運用する432d TFWとは滑走路を挟んで対峙する位置にいた。訓練空域は太平洋沖合40kmの海域と北海道周辺での陸地(陸自の演習場)において行われていたそうである。

配備当時のHH-60Gは、空軍の迷彩基準に準じヨーロッパ等の森林色に合わせたヨーロピアン・スキームを纏っている。