三沢のF-16がA/B型の時代は、空対空訓練と低空飛行による爆撃任務が主流であったが、C/D型に換装された後は、対防空網の攻撃に主体が置かれるようになり 低空での訓練は、全体の6.5%に減少されたとある。資料に寄ると1万から2万5千フィートの航空での訓練が主流だが、比較的天候の不安定な東北地区では、有視界飛行のため どうしても低空での飛行訓練が避けられない。また原子力関連の廃棄物保管施設など飛行禁止空域も多く、民間航空路も重なっている。三沢のパイロットはそういう意味では大変なようだ。
1989年8月横田基地に展示されたF-16C/MJ-558)、最後のチェッカーテイルF-16CのBlock-30も僅かな期間でBlock-50に取って替った。完成後直ぐに三沢に持ってきたこのF-16C/85-1558も Block-50への転換で1990年にはマクディール空軍基地の72nd
FSに移動している。
13FS ”Panthers"
14FS ”Samurais"
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(F-16C Block-30B 85-1567)
三沢の訓練空域の75%は、日本海側にあるそうである。三沢の南200マイルから北海道の北端にまで広がっている広い空域だが、ほとんど海である。パイロットにとっては万一のベールアウトの際それが凍るような冬の海であれば、死に直面する事態ともなる。単発エンジンのF-16には、その為信頼できるエンジンが必要である。
(1993)
(1993)
左の写真は、1991年以降432d FWに名称変更になってからの各飛行隊の所属機であるが、指令官機は、F-16C/87-0320に変更されているのがわかる。この頃から何処の航空祭にも出展される常連になった。
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↑ 1993年厚木基地"Wing 93"で展示された432nd FWのF-16C(MJ-488)
(F-16C Block-30B 85-1558)