F-16A (83-1100) IrumaAB 1985
新造機らしく真新しい塗装で A型のスモーク・グラスが先進的なイメージであった。432nd TFWのフクロウのマークもまだ入っていない。この機体”83-1116”は、その後 ホームステッド空軍基地の31st TFWに移管されたが1989年に事故で失われている。(ちなみに このすぐ前の機番”85-1115”も三沢周辺で1987年3月に墜落しているが、パイロットのオスウィッズ大尉は脱出して無事であった。)写真後ろの”83-1100”は、テキサスの州空軍に移動した。
三沢基地に配備されたF-は、A型最終ブロックAとのことでC/D型に近い使用になっていた。コックピットの風防ガラスもスモークのかかった新しいものである。85-1115は、1987年3月に海上に墜落して失われている。ちなみに操縦していたラリー・D・オスウィッツ大尉は、エジェクトして無事であった。
F-16A (83-1092) 1985
(83-1101)
(83-1114)
F-16A (83-1115) 1985
(83-1108)
(83-1096)
1985年三沢に展示されたF-16A”83-1093” まったくのクリーン状態であると.戦闘機としての迫力には欠ける。13th TFSの定数も満たされておらず、この頃の航空祭展示機は14th TFSが殆ど見られなかった。この機体も後にテキサス州のケリー空軍基地第149戦闘機中隊に移管され、尾翼に”SA”のテールレターを入れることになる。

1986年11月ハワイのヒッカム経由で三沢に新型のF-16C型が配備されたが、上の3つのイラストはヒッカムで確認された移動時のマーキングである。A型時代と異なるのは”MJ”のレターの書き方で、機首のほうに圧縮されたように少々縦長となっていた。偶々移動時だけの一時的なものかも知れないが、飛行隊のインシグニアがエンジンナセルの左側に付けられている。通常 432nd TFWの場合 左手がTFWのインシグニアで右手がスコードロンのインシグニアである。恐らく三沢到着後、速やかに変更されたはずで、日本国内でこのスタイルを見た人は少ないはずだ。14th TFSに配備された最初の飛行隊長指定機F-16C 85-1414は、配備3年後の1988年に墜落して、後継はF-16C 85-1553が充てられた。

1983年頃だったと思う、ある日新聞の一面記事に、三沢基地に50機程度のF-16Aが配備される旨の記事が掲載された。1971年に横田基地のF-4Cが日本を去って以来、本土には米空軍の戦闘機部隊は10数年駐留していなかった。当時、極東ソ連軍は急速に増強を進目ており、ソ連の脅威がマスコミに取上げられ、自衛隊も北方の強化に力を注いでいた時期である。三沢には既に当時新鋭の空自F-1支援戦闘機が配備され、ソ連極東艦隊への対艦攻撃能力を誇示していた。そこに米空軍の2個戦闘機中隊がさらに配備されれば、かなり抑止力が高まることは間違いはなかった。私は遂に日本で米空軍新鋭のF-16Aが配備されることに興奮を覚え、この記事を切り抜いて大事に保管することとした。(2004年4月 記)
Oct/1985 in Misawa AB
jul/1986 in Komatsu AB
A Signboard of 432d TFW's Headquaters in MISAWA AB  
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13th TFSは、飛行隊長ギャリー・ベントリン中佐の元 1985年末には定数25機がそろい 訓練にも気合が入っていた。F-16A/B型ではあったが 最終ブロックの機体が使われていたのは すぐにでもC/Dへの更新が計画されていたからだと言う。
Wings
6/Oct/1985 in Misawa AB
1985年入間を訪れたの13th TFSの2機のF-16A、翌年1986年暮れにはF-16C/D型に変更が始まったので 日本でF-16A/B型が目に出来たのは、1年少々の期間であった。それだけ極東に対する米空軍の力の入れ方は重かった。何せこの頃ソビエト空軍は、北方領土の4島のうち択捉島にまでMig-23を配備していた関係やレーガン政権の軍備増強計画にもあいまって、航空ファンには嬉しい(?)展開の速さである。 
Insignia of 432d TFW

最初に三沢に到着した3機のF-16Aの内 A型B型を1機ずつイラストで再現してみた。当初1985年3月に横田に飛来したF-16Aの内 83-1115だけはノーマークであったが 後に432nd TFW司令官指定機に塗り替えられ、ライアン大佐自身が操縦して三沢へ向かった。A型ではあるが、バルカン砲の砲口排煙部分は、C/D型と同様の最新タイプに換えられていた。

彼らは来た!

1984年7月4日三沢基地にて第432戦闘航空団の再編が行われ、機体がないまま準備期間が経過していたが、翌年1985年4月2日3機のF-16A/Bが横田基地を経由して到着、迎えに出た航空自衛隊第3飛行隊F-1を伴って三沢基地上空をフライパスした後 着陸した。最初のF-16配備飛行隊は13d TFSで、1985年末には24機が揃う予定であった。

 初代航空団指令マイケル・E・ライヤン大佐は、ベトナム戦も経験し130回以上の出撃記録を持っている人物であった。副官のステッケル大佐は、F-16が最初に配備されたヒルAFBの388th TFWからの転任であり、やはりベトナム戦では200回近い実戦経験を持っていた。三沢のF-16は、主に極東ソ連軍の地上攻撃を目的にしており、制空と言うよりは侵攻爆撃任務である。此処に2人のベトナム戦の経験者を送り込んだのも彼らの経験を生かそうとした人事に思える。14年ぶりに日本本土に戦闘機部隊が配備された事になる。
1986年
432nd TFWは、サウスカロナイナ州のショー空軍基地で1958年4月に創設された航空団で,、当初は偵察航空団であった。その後ベトナム戦に投入され1974年に戦術戦闘機航空団に改変したが、何度も解体されては復活してきた奇妙な経歴の航空団である。
 三沢に最初に配備されたF-16は、83-1101、83-1172、83-1115(432d TFW)だった。彼らは、三沢配備前に横田基地で暫く待機していた為 この間多くの航空ファンが、横田を訪れたようだ。(2004/4 記)