The Period of F-16A/B
(F-16A Block-15E 81-0727)
韓国に配備されたF-16はクロスカントリーで横田基地によく飛来、 日本の航空ファンを楽しましてくれた。当時も主だる航空祭には米軍の最新鋭戦闘機として展示され観衆の注目の的であった。当時の機体にはスコードロンマークは無く、インテーク横に第8戦術戦闘航空団のインシグニアだけがカラーで入れられていた。この第8航空団は1964年に横田に配備されたF-105D/Fサンダーチーフの部隊でもあり日本とも所縁もある。F-105当時もスコードロンの構成は、35h TFS/80th TFS、それと今はオーサンABにいる36th TFSの3個飛行隊であった。
8th TFWのコマンダー機の主脚カバーに描かれた忍び寄る狼君のアート。このイラストも3年前(2003)に作っておいたものだが 漸く掲載できるタイミングが出来ました。(下写真の狼君を再現したもの)
(F-16 Block15 80-0552) 
(F-16 Block-15E 81-0736)
(F-16 Block-15E 81-0719)
(80-0552)
B-1Bのページで”お出まし”頂いたカーター君が此処でも再び登場sしてもらう事となるが、1981年までのカーター米大統領時代に韓国駐留米軍の大幅な削減が行われ、それを補う形で韓国に1981年9月F-16A/Bが配備された。何と海外に配備された最初のF-16戦闘機が群山空軍基地(Kunsan AB)となったのも、米軍削減で北朝鮮とのバランスが崩れること憂う韓国政府に対する大きなプレゼントになった。35th TFSと80th TFSの2個飛行中隊を賄う上で最大でも50機程度の配備規模であったが、何せ当時はぴかぴかの新鋭機だったので北朝鮮とソ連にとってはプレッシャーになったはずである。
 群山空軍基地は首都ソウルの南西約240kmに位置し、黄海に面した朝鮮半島の西海岸線に沿って滑走路が造られている。この付近の海岸線は、セマングム干潟と呼ばれる長大な干潟が広がっている場所、水鳥の楽園としても有名である。黄海沿岸地域は遠浅の海岸線を有する地形が多い。中国で言えば天津・唐山付近がそうであるが、遠浅と言う事は大きな船が座礁を恐れて近づけないと言う場所であり、港を作る上では向いていない環境。しかし、群山市付近の海は深度のある海岸線を有する天然の良港だった為、昔から貿易の中心となってきた。ソウルの南西にあるため主と防衛の要として常に重視されてきた基地の一つである。
この機体81-0728も 後にF-16A ADFに改造されてアメリカ本国の迎撃航空団を経て、イタリア空軍 第18戦闘団で2011年頃まで活躍していたようだ。
コックピット横の狼の絵柄がアニメッチクなのもに変わった。配備された当時のF-16A/Bは、空対空ミサイルとしてはサイドワインダーだけであった。しかしF-16の発展計画として、多段階で能力向上を目指すMSIP計画により徐々に中射程のAAMを装備するようになっていたので、C/D型に更新されるのも時間の問題であったのだ。
 ちなみにこれらA型の多くが、後にF-16ADF(迎撃専用機)に改装され本国で迎撃任務に就いているが、左写真の80-0581はADFに改造された後、アメリカ本国での迎撃任務を終えてイタリア空軍に移管され、後に事故で海に落ちるという数奇な運命をたどっている。
三沢基地のOHに展示された8th TFWのコマンダー機、テールにはシリアルナンバーも無く、唯一「8TFW」とだけ書き込んでいるさっぱりとしたマーキングだったが、主脚カバーを見て驚いた。同年の横田基地OHにも展示された機体だったが、このように真横を撮ることが出来なかったので 三沢基地航空祭で初めてデザインの詳細が判明した。プロのアニメーターが書いたものと思われるがコックピット横の精悍なイメージとは違いコミカルで面白い。狼と言うより黒毛の野犬といった感じだ。
(F-16 Block-15E 81-0736)

1984年 三沢の航空祭に展示された8th TFWの司令官指定機である。シリアル不明

1985年アメリカ本国で行われた”ガンスモーク1985”に団体で参加した時の派手な出で立ちである。コックピットの右手後方は、8th TFWのおおきなインシグニアをつけていた。参加したF-16の6個飛行隊の中で最も目立つマーキングであったが この時8th TFWは、優勝を逃している。ちなみに1985年ガンスモークの最優秀飛行隊は、ヒル空軍基地の予備役部隊(AFRS)ダイヤモンドバックス419th TFSであった。

Insignia of 8th TFW
(部隊のモットーは、ラテン語で”ATTAQUEZ ET CONQUEREZ” 攻撃と征服 なんとも勇ましい!
こうして見ると1981年に韓国クンサン基地(Kunsan AB)にF-16A/Bが配属され 多くの機体が日本の航空祭などに展示されたが、尾翼のチップは殆どのものが"青”つまり先に配備を開始した第35戦闘機中隊のものであることが分かる。マーキングについては、8th TFWのインシグニアをエンジンの吸気口横につけていたり付けていなかったりとまちまちである。これらA型のF-16もそんなに長く使われずにC/D型に更新された。
横田基地に飛来したF-16A(81-0727)初期に8th TFW 35th TFSに配備された機体で まだ配属されたばかりの為か インテークのインシグニアも貼っていない。左主翼下はパッケイジ・ポッドである。
(F-16A Block15A 80-0581)
この機体81-0685も 後にF-16A ADF改造されてアメリカ本国の迎撃航空団に配属替えとなった。
(F-16A Block15C  81-0685) 1984
(F-16A Block-15E 81-0728)-1984
Wings

↑ 1986年の横田基地航空祭に展示されたF-16A。狼の絵柄が、コックピット後方から、尾翼に移動している。

日本が1910年に朝鮮を併合した歴史はご存知と通りであるが、明治維新以降の力をつけた日本政府が欧米列国に遅れまいと植民地として朝鮮を併合した事から、現在に至るまで日韓関係は常に感情的になりがちである。朝鮮を統治するため朝鮮総督府が設けられ、小さな漁村であった群山は、米を輸出する貿易港として日本人によって鉄道など様々なインフラ整備が行われ発展して来たのである。元々500人程度の漁村が、1万3000人を超える朝鮮の中核都市と成り、群山庁に昇格している。一時は地元朝鮮人より日本人の人口の方が多い都市であったとされる。(現在では30万の人口を有するようだ)
 群山基地は、重要貿易港である群山の防空を目的として日本軍により1938年に建設された。当時は土地をならして芝を引いた程度の飛行場だったようだが、太平洋戦争後の1945年から徐々に米軍によって整備が始まった。朝鮮戦争勃発後、一時北朝鮮に占拠されたが再び連合軍が奪回した後、本格的な滑走路整備が行われ、第3爆撃航空団のB-26の基地として使用されるようになった。 
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