ブラックパンサー(黒豹)をシンボルとする部隊、第35戦闘機中隊も古い歴史を誇る飛行隊だ。部隊は1917年に創設され、直ぐに第1次大戦のヨーロッパ戦線に投入されたようだ。足掛け2年のフランス戦線での戦いを終え帰国後、ラングレー空軍基地を拠点に活動、そこでP-36を受領した。1939年にニューヨークのミッチェルフィールド P-40戦闘機に転換後、1942年に激戦のガダルカナル戦線に再び投入されオーストラリアをベースとして戦闘に参加した。

  ニューギニア・レイテなど太平洋戦線を転々としながら、新鋭機P-38ライトニング戦闘機も戦列に加えて124機のに本機撃墜記録を達成。戦後は福岡の板付基地に駐留した。朝鮮戦争以後にF-100で板付基地に、F-105で横田基地に其々駐留した飛行中隊でもある。F-4Dのページでも紹介したので割愛するが1981年からF-16Cに転換し、韓国のクンサン基地に駐留している。

2000年11月から 80th FSに先駆けてブロック-40を受領(ブロック-40をF-16CG/DGと呼ぶようだが、私はあまり使わない)、JDAMの運用をスタートした。200211月の日米共同演習”キースウォード(FTX2002)にブロック-40としての6機のF-16C/Dを初めて派遣している。この時派遣された6機は、WP-003(司令官指定機88-2003)、WP-055,WP-058,WP-515、WP-099、WP-171(F-16D)であった。
Yokota AB in Aug-20-2011
(89-2013
The Period of F-16C/D
(89-2003)

↑ 2017年にクンサン空軍基地で確認された2つの飛行隊に所属する機体を3機ずつイラストにしてみたが、両飛行隊共にテールレターを小型にした機体があり、今後小さいものに変更されるの,一時的な試みなのか注目していきたい。

2011年横田公開時に飛来したF-16パイロットのお二人。写真を撮らせてほしいと頼んだら なんと ”コブラ”のポーズでこたえてくれた。彼らは、コブラと言わず「スネーク・ポーズ」と表現した。
NEXT
click here
上は、2002年に登場した第8戦闘航空団の航空団指定機”89-2013”の特別塗装機。 尾翼のマーキングを大きな狼のリアルデザインに変えたもので、航空祭各地で注目を浴びた(狼ではなくシベリアンハスキーでないか?とか言っている人もいたが)。この機体には、9-11テロ事件の報復を象徴する”Let’s Roll"も記入されていた。
HOME
部隊のモットーである”First to Fight”は、1953年に朝鮮駐在時に設けられたもので,パントンスの名称もそれ以前から使われていたようである。 
35thFSの司令官指定機は、2008年の4月時点でもF-16Cブロック-40の”89-2003”で 8th FWの司令官指定機は、同じくブロック-40”90-0703’となっている。第8戦闘航空団は、2008年8月頃から まずは80thFSを手始めにアラスカのイールソン18th FSのF-16Cブロック40/50との機体の交換が始まったので、その後これらの機体も交換されたと思われる。
ここで2枚ほどF-16D(複座型のF-16)をご紹介。各飛行隊には、D型が数機ずつ配備されているが、展示機として航空祭に出されることは少ない。
 クンサン基地は、ソウルから南西に240Kmの位置にあり韓国のほぼ中央部西側、 ここに配置されたパイロットは、まず真っ先に必ずこの非武装境界線を見学に行くらしく、北側が良く見える”ビッグコヨーテの丘”から北側が進行してきた場合を想定してイメージを作っておくそうである。まず、この基地に配置されるパイロットは最低500時間の飛行時間がなくてはいけないらしく、配置後は朝鮮半島の地理・朝鮮の歴史なども”狼”と呼ばれる航空団司令からレクチャーを受け、その後バスで非武装境界線まで出向いて周辺の状況説明などを聞くそうだ。こうしたレクチャーが3週間ほど行われた後 具体的な作戦業務に移行するらしい。

35th FSは、200011月からLANTIRNポッド装備可能で夜間攻撃力が大幅にアップしたブロック40を受領。20029月からJDAMの運用を開始PACAFとして最初のJDAM運用部隊となった

Wings
下の写真は、2009年10月18日三沢の公開時に展示された機体、この日は、サンダーバーズの華麗なる演技の影で存在感の薄い機体となってしまったはずであるが、F-16マニアはシリアルをしっかり記録しているはずである”89-2150”は、昔から35th FS所属であったが、これまで殆ど展示される事がなかった。